まさみ

ぼくの名前はズッキーニのまさみのレビュー・感想・評価

ぼくの名前はズッキーニ(2016年製作の映画)
3.6
大人向けというレビューがあったが、この作品は大人にも子供にも見てほしい。
ある程度世間がわかった大人だからこそ理解できる事柄や感じる余韻もあるし、児童虐待や養護施設の子供への偏見と差別など、社会問題を含む作品は子供には難しいとする意見もわからないではない。
けれども感受性が豊かで、まだ頭が柔らかい子供にこそ、こういう状況におかれた同年代の子供たちを描いた作品に触れてほしい。
自分と違う生まれ方、育ち方をし、少し変わった環境で生活している子供も知ることで世界が広がる。
そして私達からすれば、その「少し変わった」環境こそ普通である施設の子供たちは、ズッキー二たちが泣き笑いする姿に自分の感情を投影できる。

クレイアニメだが、目の異様に大きい人形に最初はぎょっとする。
しかし慣れてくると、そのアンバランスな目があらゆる感情を映し始める。
孤独、不安、疎外感、寂しさ……思いやり、愛情、惜別。
扱うテーマは硬派だが、内容は決してシリアスなだけじゃなく、下ネタやくだらないギャグで悪ガキどもがふざけあうシーンもたくさんある。

孤児院の子供たちが中心となる話だが、皆が施設に入れられた理由はあくまでさらっと流される。
「この子はこんな酷いことされてここにいるんだよ、可哀想だね」な上から目線の描き方じゃなく、「僕(私)はこんな感じでここにいるけど、やっぱり寂しい」と同じ目線でさりげなく教えられるので、子供たちをより近くに感じる。
親に捨てられた彼らはそれぞれにトラウマを抱えている。
夜眠れない子供もいれば、ぬいぐるみを手放せない子もいる。
そんな彼らが衝突をくりかえし友情を育んでいくが、施設の職員やズッキーニを心配する警官が、非常に愛情深く優しい人物として描かれているのも好感触。
寝ているズッキーニにもちゃんとキスするなど、本来親が与えるべき愛情を子供たちに目一杯注いでいるのがよくわかる。
ズッキー二の抱える過去は重いが、彼の行動を責められまい。
初登場時は憎たらしいいじめっ子だったシモンが、クソガキからどんどんイイ奴になっていくお約束の展開にはじーん。ハロウィンパーティーで放ったセリフには考え込まされた。

印象的なのは皆が雪山で親子の触れ合いを見詰めるシーン。
時間にして十秒近く、結構な間がとられているのだが、全員身動きせず、あの大きな目でじいっと他人の親子のスキンシップを見詰め続ける……心中を想像すると辛い、というか痛い。
ラストシーンも印象的。職員の赤ん坊に皆で声をかけるのだが、「うるさくしても捨てない?」「壁に落書きしても捨てられない?」と、それ全部彼らが捨てられた(と思い込んでる)理由なのだ。
相手はまだ物心も付いてない赤ん坊で、本来自分たちの方が捨てる立場なのに、彼らはどこまでも家族に捨てられることに怯えている。

大事な人だってずっと一緒にはいられない。
離れて生きていかなきゃいけない時がくる。

この作品はそれを肯定している。親子の繋がりは絶対じゃない一方、赤の他人とも家族になれる。
ずっと一緒にいることだけが正しいんじゃない。ダメな親から引き離された彼らが施設で良き仲間に恵まれたように、離れるのが正解という残酷な現実もこの世界には確かに在る。

親子だから、家族だから、友達だから。
なにがおきても一緒にいなきゃいけない。何をされてもガマンしなきゃいけない。
そんな居場所に依存して可能性を潰す位なら飛び出していけと、厳しく温かいメッセージを受け取った。

気になったのはベアトリスの選択。あんなにママに会いたがってたのにどうして……そりゃ施設の仲間も大事だけど。
でもそういえば、ベアトリスのママはぼーっと立ってるだけで、久しぶりに会った娘に駆け寄り抱き締めはしなかった。
シモンの手紙の内容物といい、彼らが想像していた愛情は大人の事情で裏切られる。
改めて親子の問題の難しさ、すれ違いの根深さを痛感した。
まさみ

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