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彼の部屋から
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『彼の部屋から』に投稿された感想・評価

“少しずつ、ショットは互いに響き合う。同じ構図、同じ物、同じ場所、同じ行動が繰り返される。ネットワークが織り成される。日々は変化をもたらすが、フレームは同一のままである。物の動きは、ルソーの身振りは次の日にも続く。彼の小さな世界、全く同じ世界は、時を経て一貫性を帯びていく。『彼の部屋から』は、全世界への控えの間となる。彼の孤独の物語は、映画の中の彼の孤独と呼応する。偉大な孤独者たちのすべてがそうであるように、ルソーは物、波と対話する。彼は物に物語を語り、手がかりとなり、彼の代わりに証言することを委ねる。さらに素晴らしいことに、彼は物に憑依させ、人間の身体(カメラの目)を通して物語を語らせる。そして私たちは、この男の絶対的な孤独を支配する家庭の悲劇のすべてを理解する。私たちはそれを『彼の部屋から』を通して理解するのだ。”

Mathieu Macheret (映画評論家)

部屋と身体、気配と不在、行動の断片から見る孤独性。

ルソーの映画というのは、現代実験映画における孤高の美学を象徴するものであり、その極度に静謐で自閉的な映像世界は、鑑賞者に根源的な「見る」という行為の再考を迫る。
本作は、パリにあるルソー自身のアパートの一室を舞台に、ほぼfixを用いて撮影された映像の一連の断片から構成されている、非常にミニマルで詩情にあふれた映画だ。
やはり本作でも特筆すべきは、そのほとんどが静止したような構図、長回し、引き算が目立つ映画構造、非連続的な時間の流れなどだろう。
当たり前のように本作にも物語性はなく、観客は「何も起きない」ように見える画面を観続けることになるが、そこに漂うのは静かなる孤独感と存在のリアリズムである。
環境音、そして映像における存在論的断片の気配のみが、本作を語るのだ。

ルソーの作品には、一貫して共通する「日常の裂け目から現れる詩性」という美学がある。
本作も例外ではなく、天井の隅に差し込む光、溶け込むように壁を照らす陽光、空間を彷徨う煙草の煙、割れた皿、風に押された窓が積み重なった食器に触れるという一瞬、これらの要素がその美学を体現するものだろう。
しかし、『彼の部屋から』という題名が示すように、本作の核となっているのは「部屋」と「身体」という二つの存在である。
本作における「部屋」とは、すなわち「自己の宇宙」であり、この視点は、タルコフスキーが映画大学時代に制作した短編処女作『殺し屋』における「壁や窓によって隔てられた部屋の高次元性」という、ある種の神秘主義的な空間哲学と連関するように感じた(ここでは極私的な一例として『殺し屋』との関係性を挙げたが、これはタルコフスキーの映画全般に通底する哲学として考察することもできる)。

そして、作中で最も明確に「身体」を通じた孤独性が表現されているシーンについても話したい。
(以下、シーンの説明)


壁に貼られた絵の前に、ルソーは立ち尽くす。
沈黙のまま廊下を歩き出し、等身大ほどの鏡の前で再び足を止める。
次の瞬間、電話の音が鳴り響き、彼は誘われるかのようにして、静かに、影のように画面から消えていった。


このシークエンスにおける彼の行動は、感情の揺らぎがあまりにも希薄であり、プログラムに従っているかのような機械的な印象を強く受けた。
さらに、キャメラは決してルソーの姿を中心に捉えようとせず、むしろ誰もいない「無の空間」を見つめ続けている。そこに映し出されるのは、彼の身体そのものではなく、彼が去ったあとの気配と沈黙が支配する空間であり、つまりこれは「不在」による空間演出なのだ。
明示的な感情表現を持たない「身体」と、その反復的な動作が語るのは、自己喪失と主体の空洞化、そして深い空虚の感覚である。
私の心に優しく、けれどどこか寂しげに触れた、忘れがたいシーンだった。
Macheretさんの言う“そして私たちは、この男の絶対的な孤独を支配する家庭の悲劇のすべてを理解する。”という言葉の真相の輪郭が、少し掴めた気がした。

話は戻り、今までの説明からも分かるように、ルソーは映画を「世界を見つめる行為」と考えるのだが、その視点は極めて主観的で、自己と空間の関係に鋭敏である。故に、彼の映画は、鑑賞者の内面に潜む感覚や認識に変化を促し、自己と世界との関係に対する新たな発見へと導いてくれる。
この発見は単なる外界の客観的描写にとどまらず、自己と環境との関係性を再考し、主体としての自己を再発見するきっかけとなる。要するに、ルソーの映画は鑑賞者に対して、内省的な視点から世界を再認識・再発見させる場を提供しているのだ。
例えば本作の中にある、木の枝や葉が擦れる音、足音の響き、遠くの電車の音、部屋の中で微かに動く彼自身の身体、こうしたものは、通常の映画文法では排除される「無意味」とされる時間であるが、ルソーはむしろそこにこそ現実の本質が宿ると信じており、彼の作品ではそういった、一見すると「無意味」に見えるものが多く中心的に捉えられている。

本作だけでなく、ルソーの映画では「映画とはなにか」「物語とはなにか」「見るとはなにか」といった問いが鑑賞者の中に自然と生まれ、我々はスクリーンに映し出された物理的世界の記録を見るだけでなく、「知覚のプロセス」そのものの再考を迫られる。私が『閉ざされた谷』のレビューにも書いた「映像と音の剥離」も、まさにルソーが観客に投げかける問いの一つなのだ。
ただし、本作と『閉ざされた谷』の決定的な差別点は、本作においては映像と音の関係は同期的であるという点だ。また、作中の大半が室内空間での撮影である点も、『閉ざされた谷』とは異なる本作独自のものである。
映像や音、時間がズレるその感覚は、ある特定の映画作家らに通ずるものだが、ルソーの場合はより極端で、より私的で、より詩的だ。
本作では、ドア一面の鏡を捉えたフレーム内フレーム、その鏡に反射した撮影中のキャメラを「見る」ことで、鑑賞者はフレームの外にある視点の存在に気づかされる。
我々が映画の画面を観ることと、同時にスクリーンに映し出された映像を撮影するキャメラの存在を見ることは、我々が「自分自身を見つめ返す行為」であると言えないだろうか?
つまり、フレームの外にあるキャメラとは、まさにルソー自身の「目」であり、メタ的にその視点の存在を認識するということは、「映画は映画である」という、映画自体が誰かの意志や行動によって創られた虚構である事実を再確認することなのだ。
ルソーは、たとえ室内空間の限られた撮影であっても、映像に詩的な可能性を感じさせてくれる、時に映画という枠組みすらも超える偉大な作家である。

ルソーの作品は、鑑賞者にとって忍耐を要する体験であると同時に、極めて豊かな作家性を見せてくれる映画でもある。
それは鑑賞者に、映画というメディアの本質を問い直させ、時間や空間、そして存在と構造についての深い沈思を促す貴重な体験だ。
真面目にルソーと向き合うつもりで長々と書いてしまったが、彼の映画は、従来の単なる「目的化された映画」や、あるいは「盲目的な映画行為」ではなく、それは一種の哲学的行為であり、詩であり、そしてルソー自身の自己内面的な孤独と対峙する瞑想なのだろう。
「堀禎一そして/あるいは現代映画」と題された特集で初めて出会った作品としてはこの映画に一番強烈な衝撃を受けた。

蛇口から漏れる水の音と蛇口をひねるペンチの落ちる炸裂音。タバコの煙がフレームを充満させていく中で足元に落ちるグラスの食器の炸裂音。客入りの少ないカフェの中から屋外で演奏するオーケストラ。食器棚に遮られ開き切ることのない窓とそこから聞こえる風の音。
たった一つのフレームの中で響く音響の切断と発生を堪能し、上映を終えた時に自然と「凄い…」と言葉が漏れていた。

しかしなによりもこの映画の凄さがあるとすればそれは部屋の中にいるルソー本人の足の形跡が克明に記録されていることだ。地に足をつけるということは、当然足をつけるための地面があり、そこには空間が存在するという歴然とした事実をここまでネチッこく切実にカメラを向けた映画はないと思う。

だからこそ、このフレームの中に炸裂音が響いた時、足をつける地面が突如その質感を変容させる。
最早立つことさえ難しいと思われるその場をルソーは、手で割れたグラスを拾い上げ、掃除する。

その行為を経た彼がレコードを流しながらぎこちなくステップを踏むユーモアあふれる道化としての身体を披露した時、地に足をつけることの困難を克服した姿に大袈裟ではなく勇気を貰う。
厳格なフレーミングの中でチャップリンあるいはキートンのように自由気ままに振る舞うジャン=クロード・ルソーは現代映画最高の喜劇作家なのかもしれない。
brain
5.0
多分この後の生活に響く。
身体の動かし方とか、音の聴こえ方とかそういう知覚の仕方が見る前と見た後で変わってしまう。鏡。

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名付けようのない踊り

上映日:

2022年01月28日

製作国:

上映時間:

114分
3.9

あらすじ

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