このレビューはネタバレを含みます
「人は人を裁けるのか」というテーマで法廷にスポットライトが当てられている映画。
映画では明らかにされなかった"真実"は、“三隅が咲江のために殺人を犯した”か、“咲江が犯した罪を三隅が被った”か“2人で犯行を行い三隅が罪を被った”のどれかであると思います。
以下参照
「三隅と咲江と重盛が北海道で雪合戦をするシーンがあります。これは実際にあったシーンとして描かれているわけではありません。そこで3人は雪の中にあおむけに倒れこみますが、三隅と咲江は被害者が殺されたときのように十字架の形をして倒れています。対して重盛は手足を開いて倒れているのです。これは三隅と咲江が“裁かれるべき人間”ということを指しているのではないでしょうか。」
私もそう考えてます。
映画のタイトル“三度目の殺人”とは三隅のことを表していると思います。
真実を追及する場であるべき法廷では、真実は二の次にされているという事実があり、人間の意志とは関係のないところで命は選別される世の中で、被害者は三隅だった。
真実が何かわからないまま裁きのシステムだけが維持されていることに、是枝監督はスポットを当てたのです。
監督が描きたかった「真実」とは“法廷は真実を解明する場所ではない”ということ。