岩嵜修平

三度目の殺人の岩嵜修平のレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
3.8
是枝裕和監督の新境地。
しかし、紛れもなく是枝裕和作品。

様々なテーマを孕んでいる。

大きなテーマは「真実とは何か」であると思う。
そして、具体的なケースとしての「司法のありかた」。

初日舞台挨拶の場にベネチア訪問中の是枝裕和監督はいらっしゃらなかったからか、奇しくも、出演陣の話題の中心は「誰が殺したのか」に終始してしまったけれど、福山さんが是枝監督に尋ねた時の答えにあったように「どう思います?」が偽らざる是枝監督の考えなのだと思う。

完全なる真実など無い。

全く同じ景色を観ても、全く同じ見方、感じ方ができる人は2人といない。全員が全員、主観を持つ。

誰が殺したのかは、紛れもない事実として把握することができるかもしれない。でも、何のために、どんな想いで殺したのかは分からない。
それは、当人にすら、分からないかもしれない。

しかし、個人で「真実を決める」ことができる存在がいる。

それが司法の場。
1つの真実を決め、判決を下すことができる。

父に裁判長を持つ弁護士は、かつて裁判長を目指していたらしく、容疑者も、かつて裁判長に憧れたと言っていた。その場において、最も真実を決定づける権利を持つ裁判長に。

しかし、今、弁護士は、真実を探そうともせず、依頼主の利益を最優先するための材料を探す者になり果てた。

容疑者は、自らの真実を語ることを諦め、話す度に敢えて偽りばかりを述べる者になり果てた。

真実に絶望したのだ。
真実を司る司法に絶望したのだ。

恐らく、弁護士は裁判長たる父親に、そして、容疑者はかつて自らが誇りを持って犯した罪について量刑を計った者に。

しかし、絶望した2人が出会った時に、微かながらも互いに希望を見出した。

真実に向かうことができるかもしれない。容疑者は弁護士に自らの真実を語ることが出来るかもしれない。弁護士は、それを聞くことが出来るかもしれない。

しかし、その希望をすら、司法の仕組みが奪った。

容疑者の想う真実を法廷の場で述べることは、誰よりも守りたかった娘のような少女を傷つけることになる。

少女の身に起きた事実を語ることなく、その真実を法廷の場において語ることはできず、当然、検察は反論するために、その事実の周辺情報を追求する。被害者が、その報道により、加害者同等の酷い扱いを受けることは目に見えている。

そんな悲劇を回避するために、容疑者は自らの真実を語ることを諦めた。

司法の効率主義を知る彼は、敢えて論点を外し、自体を収拾させることを選んだ。

弁護士による「ホントのことを聞かせてくれよ!」は偽らざる彼なりの真実の追求である。法廷の場でなく、手を合わせることで心を通い合わせるられたかに見えた自分自身に対してだけ。

しかし、容疑者は自らの真実を捨て、「器」になることを選んだ。
空っぽの器を。

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是枝監督としては、司法の現場を糾弾しようとするつもりも毛頭なく、司法の現状を見せ、それを型作った社会について提言しようとしているのだと想う。

もちろん、司法の人間だけで、このような仕組みが出来る訳はなく。
社会全体が、選んでできた仕組みである。

是枝監督の出自であるドキュメンタリー作品は、出来る限り、撮り手の、作り手の主観と存在を作品に入れないことを目指す。

本作においても、彼自身のスタンスは変わらない。

最後の最後まで投げかけてくる。

「どう思います?」

真実は分からない。でも、真実を追求することを諦めぬよう。
岩嵜修平

岩嵜修平