うちだ

空(カラ)の味のうちだのネタバレレビュー・内容・結末

空(カラ)の味(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


【日記】

「私よりもっと苦しんでる人がいるのに」という叱責は馬鹿げて思える。
「私はその人等と比べて幸福なはずなのに」その幸福を感じられない自分を責め始める。罪悪感とか自責の念に自分を晒すことほど罪なことはない気がしてくる。結局それも自傷行為の一環なんだろう。
「もっと辛い人って?」
「アフリカの子供…とか?」
他人の不幸と自分の不幸を比較するもんじゃないし、そもそも他人の幸不幸を推し量ろうとする行為にはどうしても傲慢な匂いがする。アフリカの子供が不幸だと誰が決めた?片親の子供は不幸?五体満足じゃない人は不幸なのか?幸か不幸かは自身が決めることであって、人様に決めつけられると腹が立つのではないか

「今までは、自分に無いものや、失くしたものばかり数えていた」
自分にないものばかり求めるのも苦しいが、現実に満足し切ってしまうのも欲のない老人みたいになり生活から鮮やかさは失われる。このバランスが難しい。

欠乏感との向き合い方
自分にないものばかりが思考を占領して苦しくなる時は、自分の手の内にあるものを丁寧に観察する。「これはあの時あれだけ努力して手に入れたな」とか、「あの時あれだけ耐えたから今これが得られてるな」という風に今の自分にあるものを一つ一つ大切に、宝物みたいに眺めていく。これは欠乏感に襲われた時の私のやり方だと思っていた。しかし終盤、医者に対する主人公の台詞によってこれが私なりのやり方ではないと知って驚いた。
主人公も欠乏感と上手くと折り合いがつけられず、暴食したり吐いたり泣いたりする。バランスが取れず、振り子が右に左に不安定に揺れる。この危うい人間味が愛しかった。
あなたの欠けた部分も私の欠けた部分も、まるっと全部愛せたらいいのにね。計画通りに進まない人生も、非効率的な思考回路も、人に救われてしまう不完全な自分も、どんな側面も自分を形作る一側面として、それはそれで愛したいし、引いては他人もそんな風に愛していきたいよね
お母さんが聡子ちゃんをおんぶして階段登るシーンは泣けた(泣いた)

「なりたいように、なれればいいね」
祈りを含むようなこの台詞が一番好きだ
うちだ

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