ミズキ

羅生門のミズキのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
3.7
「分からない」と「恐ろしい」はやはり共存しており、相互関係にあることを序盤のセリフで伝えている。何が恐ろしいって、自分と同じだと思っていた「人」が、こんなにも「分からない」、そしてそのことが「恐ろしい」のだ。

私は社会学の授業で、この映画について触れられていたのを覚えている。しかし、その内容というのは「記憶」に関することであり、それはこの映画がテーマとしている人間のエゴとは若干異なる点であると確認できた。やはり百聞は一見にしかずである。もちろん、記憶という枠で捉えることもできるが、どちらかと言えば、記憶ではなくエゴによって意識的に記憶を変えているように思える。なぜなら、証言の食い違いが甚だしい。記憶というより、保身である。

この映画は、2人と1人の幽霊による証言合戦であるが、それぞれが話す内容が食い違うことが恐ろしさを生むものとなっている。
記憶に焦点を、当てるなら『最後の決闘裁判』が妥当な出来栄えとなっている。

一つ演出で特徴的だったのは、「笑い」の使い方である。笑いは楽しい時や幸せな時に出るものであるが、この映画では「笑い」は相手をビビらせるものとして使われている。それほどまで「笑い」が異質なものとして扱われているのだ。
背景としても、飢饉や貧困が直ぐ近くにあるためか、笑いのない生活が想像できる。そのためなのか、極限の状態での笑いは狂気じみていた。

恥ずかしながら、黒澤明監督作品は初鑑賞であった。まだまだ井の中の蛙であるようだ
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