ウニくん

海辺の生と死のウニくんのレビュー・感想・評価

海辺の生と死(2017年製作の映画)
2.7
〜三ヶ月間のファンの目から見た満島ひかりとこの映画のこと〜
◀そろそろ彼女の呪縛から解き放たれたく思って認める記録▶
◆あるいは3ヶ月感彼女の様々な映画、ドラマ、バラエティ、ミュージックビデオを見倒した後での感想◆
二日酔い、と言うか連続の深酒の後の日曜日の午前からの映画というのはどの映画にとっても結構厳しい条件下での鑑賞となることは否めないと思う。案の定というか、ネオチした。ストンと落ち、場面が変わる時の気配〜この気配はこの映画ではなかなかうまく写っていたと思う〜に目覚める、あるいは音により覚まされる感じで2時間半見終わった。
Filmarksでの評判を見ていての鑑賞という部分もあったが、原作の一つである島尾敏雄文学、特に『死の棘』はただただ、原稿料を少しでも多めに取るためにページ数を増やしという感じでダラダラダラダラ書いている小説、安部公房的な深みも鋭さもない感じの進め方、それがそのままこの映画に乗り移っている感じ。あるいは、これこそ、この映画の真髄なのかもしれないが、ともかく、満島と監督が第3番目の演者である島の空気が映り込むまで人には待たせているといった感じがした。その折の満島の表情全体から出てくる島との一体感的な演技(か?)は素晴らしいのだが、他の役者は彼女のあるいは監督のOKの声がかかるまでただただ、緊張して待機している感じで、なんだか役者としての魅力が一つも引き出されていない感じがした。そして、確かにみごとに島の気配は写し録られている。ただ、音に関して、配給元が気遣ってほしかったのは館の音響施設、これに一定の条件をつけるべきであったのではないかと思われる。鑑賞した名演小劇場3階の小屋はイベント用の音響スピーカーが臨時的に設置されていた、あれだけだったのか?そうだとするなら、もう一度、音響設備がしっかりした小屋で見たいと思う。幸いに富山でかかる小屋は比較的新しい建物なので、期待する。実は名演小劇場、この映画のことわかっていて、3階の施設では音が伝わらないと音響施設を補強すべく、あのスピーカーを立てていたのだとしたら、映画を撮る側に多少力量不足があったのか、あるいは資金不足か?
いま確認したところ5.1サラウンドシステムでかけていたとのことなので、ひょっとすると私の耳の劣化なのかもしれない。確かに虫や鳥の音は聞こえており、島感があった、また映像の中にここまで虫が写り込んでいる映画も少ないと思うくらいの虫の飛び込みも多々見られたが…。虫や鳥の音はもっと強調されても良かったような気がする。
さて、満島のことである、この映画は2年前に撮られている、今年島尾敏雄生誕100周年だから本年まで持ち越しての上映だったのか、ともかく、初胸見せの映画である。期待はしていなかったといえば嘘になるがこのあたりを少々綴りたい。本年度上期バラエティー番組名セリフのベストテンに入るであろう『胸はないけど夢はあります』という当時の所属事務所社長にはいた言葉、さんまのまんまSP、6月23日放送(歌手としてレッスンさせていた時期に「社長、私女優になりたい」と言った時に社長が胸のないやつは女優になれないと言われた折の返事)、での発言はこの映画での満島のエクスキューズではなかったか。まぁ、売れていない時代、彼女は写真集なども出しており所謂グラビアアイドルに挑戦していた時代もあるのだから、彼女の胸に期待をするファンはあまりいないはずだ。あ、そこまで彼女のことを追っかけているのは少数派か?でも、わかるよね、普通に、彼女に胸はない(75・60.5・89 だっけ?)。
そう、彼女は残念なほどクォーター感がない。母親とのツーショットの写真や父親とのツーショットを見る限り目元なんか母親そっくりだし(父がハーフ)、伸びやかな感じのアメリカン人感は全然ないといえる。正直彼女の躯体(胴体全体)はどちらかというと純日本人の体型であると確信を持って言える。ズドンとした樽型。
彼女の胸が映るシーンは水垢離のシーンである。
着物を剥ぎ切り、水瓶に手桶を両手で沈め込め、両肩から各々水を掛ける。そして、頭から水を浴び、手桶を置き、水瓶から水を掬い顔を洗うこと3度、そして、犬のごとく頭を激しく振り切り水を飛ばす。その間およそ1分間、胸は露出したまま、真正面からのショット。水瓶の後ろに立っているので、下半身は露出してないが明らかに生まれたままの状態であったはず。100円玉サイズの乳輪が10歳の女の子の掌程度の厚みの乳房にちょこんと鎮座している。30歳に近い齢ならではの色に染め上がった乳輪、寸胴型の身体。そして、ダンスで鍛え上げられたうっすらとした腹筋。でもその水垢離の1分間のシーンの中乳房は揺れなかった。ああ、和女!そのものの感じ、昭和20年頃の女性の身体ってこんな感じやったんやろなぁと想像する。
さて、満島がクォーターであることを、あるいは勝手な思い込みで単なる末端の骨太症なのかもしれないが、表しているのが彼女の手足(本当にその先端の手足)、指の感じ。確か公称値で足のサイズは25である。これは彼女の身長が162cmであることを鑑みればそんなものかもしれないが、正直男性である私は165cmで足は24しかない。だから、彼女の和装での白足袋正座姿をバックショットで撮ってはいけないのだ。異様に大きく足が写ってしまう。そして、手の指であるが、この『海辺の生と死』では小指で紅を指すシーンがあるが、たしかこの映画はうまく撮っていたと思う。これも撮影する角度によっては無骨な彼女の骨太感満載な指がぐにゃりと曲がり力強く映るのだ。例えば、『川の底からこんにちは』の中でヤケ気味に缶ビールをグビグビとやるシーンなどの指の折れ方はオイオイと思ってしまうほど気色が悪い(個人の意見)。でも、この映画(『川の底からこんにちは』)では、それがこの映画の必須のシーンであり、あの折れ曲がった指が彼女の屈折した5年間の生活を表現しており、きちっと納得行くのであるが…。ただ、彼女の指は妖艶にしなやかにも活き活きと曲線をも描くことを彼女のために認めておこう。これも、さんまのまんまSP内で披露された、沖縄の方々の女性は指を伸ばして男性はグーでこう踊るという満島姉弟の演舞の披露の折に確認した。このあたりの指の先々までの心配りは、彼女の両親がお二人とも体育の教師であることから、理解することができる。即ち、体育教師の両親から得られたのは体中の筋肉を力強く正確に素早く動かすことではなくて、正確に美しく動かす能力を授かったということではないだろうか。
さて、『海辺の生と死』という映画に戻るが、もともとこのオハナシ自体が「起承」しかないものであり、映画もそうならざるを得ない。この映画を鑑賞するために島尾敏雄の『魚雷艇学生』『死の棘』『出発は遂に訪れず』、島尾ミホの『海辺の生と死』『海嘯』『愛の棘』を読んだが、これらの文学作品自体が島尾敏雄生誕100周年という以外に(ミホさんのものは素晴らしいと思うが)あまり文学史上意味のないものである感も否めない程ツマラナイものである。確かに特攻隊員の生き残りであったという稀有な作家ではあるが、それだけである。それならば、城山三郎の『一歩の距離』の方がよほど上出来な作品であると思われる。ドキュメンタリーを見たいのではなくてその折の心情をもっと描き尽くさないといけいなと思うのだ。ただ、その心情を描きつくすよりも、更に加計呂麻島の自然の偉大さが増していたということなのだろうか?
この映画の結語はこうである『満島と奄美大島のプロモーションビデオ』。それ以外は写っていない。ただ、残念なのは、この三ヶ月間満島の様々な映像を見てきたが、今までを超えていないということである。本日、録画した『とっとちゃんねる』を今から楽しむが、それによってまた感想が変わるかもしれないし、この秋彼女が出演する、「百鬼オペラ羅生門」を見ると変わるのか見しれないが、彼女の停滞を危惧するのである。
歌手に戻りますか?
ウニくん

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