名も無き辛口評論家

ヘルタースケルターの名も無き辛口評論家のネタバレレビュー・内容・結末

ヘルタースケルター(2012年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

女性は単純消費材の道具か?極めて社会風刺に飛んだ作品だった。
女子高生など造られた偶像に飛びつき易い衆愚の象徴とは、如何に虚構で実体の存在しないもので空虚な存在かを認識させる。また、最後に流れる浜崎あゆみとevolutionなど音楽も同様の単純消費材と見做しavexの歌姫が生まれては消えて、二足三文で売られるCD、他にも旋風を巻き起こした蛯原友里など消えては再生産される時代の寵児による光と闇の相剋を極めてセンセーショナルに描き起こしている。

なぜ、この作品が、一般女性には高く評価されない反面で、所謂メンヘラや風俗嬢など心に闇を抱えた層から極めて評価が高いのか?
昨今、韓国同様に整形が再び台頭する日本。そうした整形と美、過剰な自己顕示欲と薬物問題など、この作品で描かれる極めて残酷な内容は、今の日本の女性には、そう遠くない問題で、笑って過ごせる娯楽映画ではないからだと感じる。なので、支持層が極端に二分化した結果の評価だろう。

最後の大森南朋による「若さは美しさだけど、美しさは若さではない」という本質を貫くトートロジーだ。双方は、相関関係に非ずで、誰もが陥り易い誤り、しかし、では哲学的に美とは何か?アリストテレスの時代の美と今日の美とは異なる。美とは若さではない。では美とは何か?作り得るものだろうか?美とは?最後の妖艶な隻眼で水原希子を眺める沢尻エリカには、その美がある。

特に、一度、干されて立ち上がった彼女の復帰作としては、これ以上ない晴れの舞台だろう。時代を築いた沢尻エリカが、同じハーフの水原希子に役所を奪われるという世代交代のリアルな演技と屈折など、若さとの相剋を極めてリアルに描いている。

美とは何か?沢尻エリカの綺麗な乳首など忘れてしまうほど、終盤の片目を抉る物言えぬ葛藤に苦しむ単純消費財としてしか生きられない不自由で華やかな象徴の存在は、君主制制度を取る我が国だからこそ「象徴」としても深く理解できるのかもしれない。

象徴とは絶えず、大衆が求める愚かで空虚な像を演じ続ける必要性があるのだろう。それは悲劇でしかない。

美とは、一方的に背負わされる不幸そのものである。