つのつの

ビジランテのつのつののレビュー・感想・評価

ビジランテ(2017年製作の映画)
4.5
入江悠監督と言えば「オラこんな村イヤだ」イズムを持つ傑作を生み出してきたイメージがある。
しかし本作を観て、彼は「世界の不条理に気づいてしまった人間の葛藤」という物語を常に描きその先に「オラこんな村イヤだ」話を紡いできたということを発見した。
この場合の不条理とは、権力や貧富の差といった話題だけではなく才能の有無や地方都市に生まれたという現実なども含まれるだろう。
更にこの不条理に異議を唱え必死にそれに抗おうとする人間は少なく、主人公は孤立無援状態になりがちなのもポイントかもしれない。
彼の代表作である「SRサイタマノラッパー」シリーズは、そんな厳しい不条理において「何かを好きでいることの尊さ」が唯一の救いであると力強く提唱してみせた。
そして本作「ビジランテ」はその結論にある種の揺さぶりをかける。

それが端的に示されるのは序盤で桐谷健太扮する三郎が運転する車でかかりタイトルバックにかぶさるあの音楽。
たしかにこの曲を聴いて楽しそうに踊るデリヘル嬢の姿は見えるが、この音楽から受ける不穏な雰囲気はSRシリーズや劇場版神聖かまってちゃんにおけるそれとは真逆だ。
つまり本作はSHO-GUNGのよう人間達すらいない完全にどん詰まりの地方都市の中でも、果たして彼がかつて提唱した「救い」は存在しうるのかという問いを投げかけてくるのだ。
このどん詰まり感を醸し出す演出、特に撮影が素晴らしい。
川や鉄塔や兄弟の実家を不穏に見せるのはもちろん、夜の闇の不気味なことよ!
22年目の告白にも見られるざらついた画面(ただの殺風景な絵面とは一味違う)が見事。
撮影以外に特筆して起きたいのは役者陣の演技。
嶋田久作や菅田俊などのベテランは言わずもがなだが、驚きのマクベス夫人ぶりを見せる篠田麻里子や若い頃の寺島進ほどの魅力を持つ般若の名演も忘れ難いなあ。

だが何より兄弟を演じる3人の役者の凄まじいほどの熱演が一番強烈だった。
特に桐谷健太は間違いなく彼のベストアクト!
本作は地方都市全体のバイオレントな不条理パワーゲームの物語だが、この3人それぞれがこのゲームに対して異なるスタンスを取っているのが面白い。
大森南朋扮する一郎は、父親の性格を受け継ぎ弱者(主に女性)に暴力を振るう小権力者。
鈴木浩介扮する二郎は、そんな器ではないにも関わらず妻や上司の影響で否応無しにこのパワーゲームに飲み込まれる男。
桐谷健太扮する三郎は、SR3におけるマイティのような小権力者に見えるも、実は割といい奴(それを示すフード理論描写も秀逸)。
この3人に対して初めに観客が持つイメージと、かれらが実際に迎える結末は大きく異なる。

(ここからややネタバレあり)

実はそれぞれがパワーゲームに巻き込まれるこの3人の中で唯一、それでも「大事なモノ」に気づくのは三郎だ。
彼が事あるごとに口にする「3人で話そう」という提案などから分かるように、彼は搾取するされるというゲームを超えた普遍的な友情や善意というものの尊さに気づいている。
そんな彼が絶体絶命の修羅場に追い込まれた時に一郎が言うあの言葉。
このシーンには不覚にも涙が溢れてしまった。
大人数のヤクザの脅しという究極のパワーに対して放たれるこの言葉に込められた一郎の思いを感じたからだ。
あれほどジャンキーで暴力的な男に見えた彼の中にもどうしても譲れない何かがあったのだろうか。
ここで先ほどの問いが浮かび上がる。
SRシリーズにおける「音楽」も、sho-gung達にとってどうしても譲れないものだったはずだ。

結局は一郎も三郎も幸福な結末を迎えることはない。
二郎も含めてこの三兄弟は、父親との関係から派生したこのパワーゲームに勝利することも逃れることも不可能だったのだ。
しかしそれでも何かを感じられる点があるとしたら、三郎が一郎の仇を討つ展開だ。
この場合に三郎が振るう暴力は、パワーゲーム云々に関係のない暴力だ。勿論その後に彼が迎える最後は惨たらしく泥臭いので、それを安易な希望と取れるかどうかは疑わしいが。
でもラスト直前、車中での彼女達のしょうもないやりとりにはどうしてもグッと来てしまう。
この三兄弟以外にも一つ非常に苦い味わいを残すのは、中国人労働者に明らかな偏見を持つが故にビジランテ団に入るあの若者。
彼こそもまたパワーゲームの敗者であったために、そのはけ口を模索していたのだろう。そう思うと彼が物凄く哀れな存在に見えて仕方がない。

この物語を現在の入江悠監督が撮ったということをどう捉えるべきかはまだわからないが、間違いなく彼がネクストレベルに到達した作品だと思う。
今年公開されたアシュラやアウトレイジ最終章、T2トレインスポッティングと比較してみるのも面白い。
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