"We shall never surrender"
「みなさんのおかげで」とスピーチするとき、いちいち「あなたと、あなたと、それから1つ後ろのあなたと....」なんて指差し確認はしない。「私たちは」と発言する時、確実に含まれているのは"私"しかいない。
大好きなアイドルが「ファンのみなさんのおかげです!」と言えば、そこに自分も含まれていると思いたい。というか思う。でも、どっかの誰かが不倫して、「みなさんには大変ご迷惑を...」なんて言っていても、別に関係ないし、知らんがな〜~
「関係ない。」なかなかぐさりと刺さる。関係しているのに関係ない。興味がない。関心もない。それはなぜ?わからない。理由なんて、関係ない。関係者って誰...?
切迫した状況を「切迫」と捉えるのは、周りの切迫を肌身で感じるから。気づいていないことに対して焦ることはできない。私が焦ることは簡単だけど、"私たち"が焦ることはけっこう難しい。この舞台、"私たち"という表現は「国民」を指す。でもそれを国民の"みなさん"に伝えることは難しい。伝わるのはもっと難しい。
"We shall never surrender"
少し読み方が変わってくる。
自分が「私たち」であるとしたら?
自分が「私たち」になるとしたら?