鹿shika

ソウルメイト/七月と安生の鹿shikaのレビュー・感想・評価

ソウルメイト/七月と安生(2016年製作の映画)
4.5
13歳で出会った七月(チーユエ)と安生(アンシェ)。性格も環境も全てが対照的だが2人は親友だった。地元に居たいという七月と、お金を貯めて世界を旅したい安生。歳を重ね、13歳から27歳まで、2人の感情や環境を描いたものを七月が小説にする。

書き出しはこうだ。
「旅の途中、振り返って七月は気付いた。自分の影を踏んでくれているのは幸せに暮らす安生なのだと」

デレク・ツァン監督の作品は、レビューや感想を言うと言う行為すら、烏滸がましいと考えてしまう。
それくらい表現力が繊細で美しく、自分の語彙の無さを、自分が感じたものを伝えられないことを、悔しく思う。

それを、企画し、関係者に共有でき、表現し、解釈し演技をする。この映画に関わった方々に涙が出そうになるよ。

幼馴染、高校の同級生、ネットで出会った人、、親友と言える人が1人思い浮かぶだろうか。
親友とは、友達とどう異なるのか、どうしたら親友と呼べるのか。
大人になると親友と呼べる人なんていないし、今更作り方すら分からない。
子供の頃からの親友の定義は、お互いの考えていることが分かって、家族みたいに思って、時にはお互い尊敬しあっいて、、きっとそんな感じだろう。

しかし親友に嫉妬心や劣等感を感じたことも少なからずあるはずだ。
お互いの環境が変わり、恋人が出来たり、他の人ともつるむようになると、「私にはできないけど、あの子の生き方は楽しそうだな。まあ私は無理だけど」と思うことがあるだろう。

今作は、親友を大切に大切に思い、自分の毎日を手紙に綴り、楽しそうに振る舞っている。
しかしお互いが見えていない所で、自分の生き方に自信を持てずに、相手の生き方に憧れ、「辛い、あなたに会いたい」と心の奥底で思い合っているように見えた。

途中、2人の喧嘩シーンで、お互いの生活を罵り合う場面が多々あるが、それがとてもリアルで、2人の本当の感情を分かっているコチラにとっては、苦しい場面だった。

安生は家族から愛されず、七月からの愛に心地良さを感じていただろう。だからこそ、若い頃は異性からの愛を求め、七月と同じくらいの愛をくれる人を探し続けたのだ。
一方、七月は家族から無性の愛を受け、恋人からも愛されたが、優等生でいることへの息苦しさが募っていたのだろう。そして彼女は世界を旅し続けることにしたのだ。きっとな
そして27歳で、永遠に、綺麗で見たこともない世界を旅し続けるのだよ。
母親のこの台詞も、彼女の背中を幾度となく支えただろう「苦労したから不幸とは限らない。ちょっと辛いだけ。」

そして、ラストの終わり方が表現できないくらい素敵だ。

海の真ん中の岩場にある灯台に向かって1人で歩く7月。
そこまでの道は砂浜の一本道。そして両側には綺麗な海が地平線まで広がっている。
完全に陽が落ちると、きっとこの一本道は満潮になり、消えるのだろう。
そして細々とした灯台の灯りが、緩やかにじんわりと消える。
そこでこの作品が終わり、エンドロールへ入る。

『少年の君』でもラストカットが秀逸だったが、今作も”綺麗”と言う感情で涙が出そうになるラストだった。
鹿shika

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