ケンヤム

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書のケンヤムのレビュー・感想・評価

5.0
先月公開されたクリントイーストウッドの「15時17分、パリ行き」
そして、今月公開されたスティーブンスピルバーグの「ペンタゴンペーパーズ」
この二作品には共通点がある。
それは、どちらの作品も「動かなければいけない時に動いた人」を描いた作品だということだ。

「〜パリ行き」のあいつらも、ボンクラでダメダメだったが、この作品のワシントンポストの女社長キャサリンも行動の一つ一つにわがままで争いごとが嫌いなお嬢様という感じが漂っていてダメダメだ。
何かあるたびに、フリッツという側近に意見を聞く。
まるで、亡くなった次期社長候補の主人に、前社長である亡き父に、頼るかのようにフリッツにことあるごとにお伺いをたてる。
彼女は自分に自信が持てない。
「女性である自分」「仕事などしてこなかった自分」に劣等感を抱えている、古い伝統に取り憑かれた典型的な女性なのだ。

しかし、ある時から彼女は変わる。
友達である官房長官を貶めるような記事を掲載することに迷うキャサリンが
ブラッドリーに
「友と記者どっちもは無理なんだ。どっちか選べ。」
と言われるあの瞬間だ。

あの瞬間彼女は自身の手に、アメリカ合衆国の報道の未来が懸かっているという「運命」を自覚する。
「〜パリ行き」のあいつらが、テロリストに対峙した瞬間、この列車に乗っている全ての人たちの命を自分のこれからの行動が左右するという「運命」を瞬時に自覚したように、彼女も「運命」を自覚したのだ。

だから彼女は行くしかなかった。
彼女は動いたのだ。
そして、結局はこの決断が分岐点となってアメリカの報道の自由は守られた。

この映画で印象的に繰り返される一つの単語。
「仕事をしよう」「さあ、仕事だ。」「仕事をしろ!」
様々なシーンで、ブラッドリーは「仕事」という言葉を繰り返す。
「仕事」をしないといけないのだ。
郵便配達員が手紙を届け続ける。
喫茶店の店員がお茶を運び続ける。
清掃員が床を掃除する。
それと同じように、新聞記者は記事を書かなくてはいけないし、政治家は民主主義国家をやらなくてはいけない。
あえて文法的におかしな言い方をする。
政治家は民主主義国家をやらなくてはいけない。

「仕事をしよう」と思った。
常に、動くべき時に動けるように仕事をし続けなくてはいけないと思った。
こんな時代だからこそ、萎縮せずに動かなければいけないし、決断しなくてはいけない。
萎縮するな!
スピルバーグは私たちを鼓舞している。

てか、スピルバーグこの映画日本のために作ってくれたんじゃないか?
と思うくらい「今の日本」の映画であると思う。
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