この前『市民ケーン』を再見して「『モビー・ディック』『グレート・ギャツビー』に並ぶ、アメリカの狂気の体現」だと思ったのだけど、このD.W.グリフィスのドキュメントを観るとアメリカが生んだ「映画の父」も狂気を孕んだ存在であり、アメリカ映画そのものが誇大妄想の産物なのかもしれないと考えさせられる。朝は撮影、夜は編集、ひまがあれば資金集め、俳優に金は払わずむしろ資金を肩代わりさせる始末だった『国民の創生』の舞台裏の監督の姿は「大きい仕事をしなくてはいけない」という強迫観念に囚われているとしか思えないし、映画自体が白人至上主義を反映していたというところもアメリカンマッドネスの体現者めいている。まぁ『国民の創世』まだ観てないのであまり適当なことはいえないのだが・・・
全然関係ないけど、グリフィスのwiki観てたら「アニメ版『キテレツ大百科』の一話に『イントレランス』を観て感動したキテレツ、コロ助、みよ子、ブタゴリラ、トンガリの5人が航時機に乗って『イントレランス』を撮影中のD・W・グリフィスに会いに行くエピソードがある。」という記述を発見して「マジかよ」ってなってる。この回めっちゃ観たい。