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ユリ子からの手紙
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『ユリ子からの手紙』に投稿された感想・評価

雑にバフチンの理論を援用するなら、ポリフォニーの映画だったと言えるのかもしれない。ただ、バフチンの定義したポリフォニーは人物単位の対話が主軸となる考えだが、本作はそれとも違うので雑学のひけらかしかもしれないが、だから雑に定義して、だ。しかし明らかにモノローグではない。そう言いたい。

映画はユリ子と店主がかなり感情的な言い合いをする場面から始まる。続いた場面では、調理場、配達風景や仕込みの作業といった香蘭の日常が撮影される。そこで映し出されるのは、障害者参画の理想的なイメージだ。この両者の関係が象徴的だが、本作はシーンごと、さらに言えば映像単位において、衝突や矛盾を用いている。
一例を挙げれば、ユリ子の半生を振り返る際に写真が挿入される。写真というメディア、取られた時代が古ければ古いほど顕著な常ではあるが、標本的というか、ノーマルとされる状態に近づいたものを収めている。これに重なり、続くナレーションはむしろ反対のことを語る。暴力性や衝動といったある種禍々しい性質を。しかし、本作は知的障害者の恐怖といったような安っぽい感情に訴えかけるものにしない。相反する要素の作為的な選定はあるが、そこに善意も悪意もない。
はじめに出した非モノローグとは、この善悪に措定されない構造にある。モノローグ的な構造は製作者の善悪の優劣による二項対立に設計され、支配されてしまうわけだが、それを取り除いている。従来の倫理的に見れば、容認しかねるようなエピソードも出てくる中、それを安易に善悪の視点から断罪しないからこそ、あの呼び込みのラストに込み上がる感覚があるのだ。今村昌平もナレーションに加わった作品だが、重喜劇的、とも言えるのかもしれない。