前作はクライムサスペンスとして面白い作品だったが、今作は無軌道なスプラッター映画の側面が強かった、というのが観賞後の感想
特に、冒頭の土方歳三の殺陣は劇中で二度挿入され、物語上の意味にとどまらないレベ>>続きを読む
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あの有名な1000ヤードの凝視のような表情を時折見せるオッペンハイマーは、数多くのものを見る。というより見通す方が近いのかもしれない。
それはピカソの絵画であり、女の胸の前に突き出されたサンスクリット>>続きを読む
ローアングルのショットの多さが際立つ作品。アクションシーン以外でもローアングルでの撮影が目立っており、特撮映画によくある人間的な視点から怪獣を捉えた、というようなものに留まっていない。バイオ企業社長と>>続きを読む
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転落死を裁判の中で再現していくドラマ。転落死や転落死に至るまでの事象の再現が不可能な以上、何かしらの指標が用いられるわけで、本作でも指標による再現が行われているわけだが、そこに多言語などの複雑な工程が>>続きを読む
ゴースト・トロピックと同じく、街の風景は等閑的に捉えられているが、本作では新たな特徴として見切れるショットやダッチアングルが挙げられる。人物や鍋などの一部事物が登場する時、中心にとらえず見切れていたり>>続きを読む
本作の一番の特徴として挙げられるのは、事物の撮影に関する規則性だろう。街の風景に現れる街路樹や電灯・トンネルの壁のタイルや洗面台などの複数存在する人工物が等閑に続くようなアングルで撮影されている。これ>>続きを読む
当たり前といえば当たり前だが、本作ではPMSやパニック障害、自死遺族の苦しみは内面に位置する。あくまでその痕跡を追い続けるのみである。それは捉え所によってはユーモアにすらなる。兆候や時間的経過のような>>続きを読む
タルコフスキーの映画を見ると眠くなるとはよく言われることだ。私はそう思わないが、そのように評される一因がなんであるのかはわかる。映画全体に漂うスローな印象だ。このスローのことを技巧的スローモーションと>>続きを読む
ショットが切り替わるたびに発せられるセリフの音量も変化する。また、会話のシーンでは、ショットに映る人物のセリフの音量に対して他の人物のセリフが小さいなど、等閑的な音響設計が行われていない。これは推測に>>続きを読む
体の一部のアップのショットの描かれ方が特徴的であったように思えた。特に唇や太ももの描写において、カメラワークは連続性を重視していないためある人物に位置するパーツとしてというより、パーツのアップそれ自体>>続きを読む
本作の特徴の第一点として、ショットの語彙の少なさが挙げられる。ほとんどのショットにおいてカメラは対象に対して垂直か並行にしか動かない。この点においてパンの動作が避けられている。この抑制でわかるのは、延>>続きを読む
親しみやすいアカウントを目指しながらもどんどん気取った訳のわからないレビューになっていきながら、それでもやめられない今年一年。プロフ欄にもある通り気軽に絡んでください、来年こそは楽しいコメント欄のやり>>続きを読む
ナチスドイツ占領下のポーランドでのレジスタンス運動をハリウッドがコメディとして映画化するという、よくよく考えてみればかなり捻くれた作品。当然に使用される言語は英語だし、スクリューボールコメディの御多分>>続きを読む
カウリスマキの作品には棒立ちな人物を固定カメラで映すショットが多い。これにより、視点ショットとは異なる観客と登場人物間の見る・見られる関係が発生するわけだが、本作ではカメラの揺れにより断ち切る演出がい>>続きを読む
白さが特別なモチーフとなっている作品だった。富裕層の室内調度や服装、搾り取られる牛乳など、富や価値に結びつくモチーフは白であることが多い。対して、物語冒頭に出てくる遺骨も白だ。両者の挑発的関係が、白の>>続きを読む
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スプリットスクリーン内の両者は常に同時並行的だ。つまり、両者はもう一方の時間の換喩のイメージとして提示されている。
スプリットスクリーンの狭いフレームに加えてバストアップで捉えられるショットが多い。こ>>続きを読む
視点ショットや多い作品だが、必ずしもそれらが真であるとは限らない。再現された視点ショットも不可能性の元に組み立てられている。また、ガラス越しの構図や誰の視点でもない鏡に映り込むも多い。映画において記憶>>続きを読む
ゲゲゲの鬼太郎と市川崑の金田一耕助シリーズファンなので、楽しみにしていた作品。市川崑作品のショットを構図まで真似してくるとは驚いた。
冒頭の鬼太郎登場シーンではそれぞれローアングルで鬼太郎と猫娘が映>>続きを読む
記憶があやふやで申し訳ないが、本作の中で視点ショットが入るのは秀吉、曽呂利、茂助の三人しかない。そして三者の共通点として侍でないことが挙げられる。
対して、信長は天下統一を掲げていることがテロップで示>>続きを読む
申請が通ったようなのでこちらで再度投稿。
本作ではアシンメトリーな傾きがある陸軍士官学校のショットから始まる。
さらに、集団の全体を完全に捉えるショットは極めて少ない。例えば、乾布摩擦をするシーンに>>続きを読む
暗殺の森へと車内で移動する場面では途中までは車外からのショットと主人公の視点ショットだけで構成されている。車外からのショットは外部のショットであり、視点ショットはあくまで視点に過ぎず、外部からの情報だ>>続きを読む
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噴き出る石油を浴びる原住民たちや石油でメイクする暗殺者たちに代表されるように、本作における石油は埋蔵量の多さを誇るかのように身近にある。対して、雨はショーウィンドー越しに、常に後景に位置している。スコ>>続きを読む
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全編を通してロングショットが少ない。零戦が飛ぶオープニングからして悠々と滑空するような爽快さは鳴りを顰め、アクションはアップによる部分の集合として編集されている。この部分化は戦闘シーン以外でも同様だ。>>続きを読む
ラヴ・ディアスの映画は数作観てきたが、この監督の作品に共通しているのは後景の狭い固定ショットで映画全体を繋いでいくスタイルだ。これはボックスタイプの演劇劇場の構造に非常に近い。
ただ、本作ではこのスタ>>続きを読む
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メタフィクションのようなモキュメンタリーのような、特異な位置を占める作品。
冒頭の劇中劇とパナヒの関係のワンシーンワンショットが示すように、本作は複数の階層で成り立っている。劇中劇はパナヒの視点ショッ>>続きを読む
オープニングのショットの流れは一般的な弁証法的に組み立てられておらず、緩慢としていると言っても良い。
また、作中を通してローアングルやロングショットが多い。キスシーンのアップすら望遠レンズで撮影されて>>続きを読む
時間的なパンの存在が印象深い作品。
途中何度か出てくる奇術と生活の並行モンタージュは最後の救出劇のような相互補完的なものではない。また、エイゼンシュテインの弁証法のようなモンタージュとも異なる。>>続きを読む
カジノでの栄華が続く場面では煌びやかな光景がガラスやサングラスに映り込む。カジノを追い出されたジョー・ペシが泥棒として成り上がる過程でもガラス越しに映り込みがある。これも一種のフレーム内フレームとして>>続きを読む
映画は選挙演説の準備から演説する山内氏を捉えるショットから始まる。かなり長いショットの中で、山内氏以外の対象に向けてパンやズームもするカメラの動きは撮影者の存在を隠していない。この点においてカメラと撮>>続きを読む
ユダヤ系のスピルバーグが監督した作品とあって身構えて見てみたが、所謂演出的な重苦しさはない。むしろ、虐殺のシーンも含めてコメディタッチな部分も多い。これは迫真とは異なる見地からホロコーストの異様さを捉>>続きを読む
仲間の棺桶が空輸される場面のショットで、輸送機の中で運ばれる星条旗に包まれた棺桶は一点透視図法的に配置されている。これにより、実際にある棺は5つだがイメージの作用として前景の先にある棺の存在を想起させ>>続きを読む
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作中全体を通したアップの多さが気になった。さらに本作で用いられるアップはクロースアップが大半を占めており、対照性に対する強い意識がある。
また、アクションシーンにおいて近年のハリウッド映画によくある>>続きを読む
ツアーが始まり、船に辿り着く場面までに何点か特徴的なショットが見受けられる。
まず暗闇の中歩く場面では懐中電灯の光により同心円状に関係を築いている。また、色による分別を行なっているショットもあった。>>続きを読む
劇中で何度も画面内フレームが示唆されてる。(部屋の扉越しのショット等)
画面内フレームの内外の関係は動・不動と区別されており、例えばダンスのシーンでは不動のモチーフである前景のテーブルなどのモチーフ>>続きを読む
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ヒトラーのポスターに始まる映画は、アデナウアーのポートレートで終わる。ここに一つの繰り返しの構造が作られているわけだが、単なる円環とは異なる。両者は明らかに性質の異なる人物で、単なる相関性だけで語るこ>>続きを読む
レヴァインのスローな指揮やMETの相変わらずMETな演出は楽しめなかったものの、カウフマンの演技にこの点数。
カウフマンはやはり良い歌手だ。今年のバイロイトではジャーガーのパルジファルも見たが、スター>>続きを読む