森崎

アイスと雨音の森崎のレビュー・感想・評価

アイスと雨音(2017年製作の映画)
4.0
観賞後、控えめな雨音がぱたぱたと傘を叩く音を聞きながら、しばらく何かが身体の中から抜けたような感覚と何かがうっすらと渦巻くような感覚にまかせて帰り道を歩いたことは覚えている。

自らが出演する演劇公演の中止が決まった若者たちの物語。
顔寄せから立ち稽古、稽古場打ち上げ、そして中止が伝えられたその先も、シームレスに一発録りで展開する。
演じるはずだった役柄を劇中に織りまぜながら感情をぶつけていく若者たち。感情を殺していたり抑えきれなかったり気づこうとしなかったり誰かと共有したり割りきることを既に覚えてしまっていたり後に退きたくなかったり、彼ら六人の中にもそれぞれの叫びがある。


ただ、何故か鑑賞中にずっと思っていたことは「知らない、この感情は知らないなあ」ということで。目の前に映る彼らの嬉しさ、楽しさ、挫折の後のやりきれない思い、衝動。わたしの生き方では経験したことのないもの。
この映画にはオーディションで俳優役の六人のほかに選ばれた演出助手役とお手伝い役がいて。そのお手伝いの女の子が中止が決まったあとに言う「わたしは、お手伝いなのでなんとも言えません」の言葉がすべてだと思う。これは、一生懸命にうちこむだけじゃなくて、演劇のなかでも演じることを仕事にしている人の物語。良い意味で普段作品を観るだけでは知り得ない俳優の情熱がこもった物語。そう思わせるほどに俳優の演じたい、演劇をやりたいという衝動が溢れていた。

知っているはずの下北沢も、その下北沢で迷うたびに目印にしている本多劇場も、見慣れているはずなのに遠かった。下北沢は演劇の街、だけど、この作品の中では俳優の街。客や演劇ファンや制作スタッフ、劇場スタッフも別で主役は演じたいと願う人。街も、エントランスも、ロビーもトイレも舞台も無機質で、でも客席だけはいつもと変わらない温度でそこにあった。客席はいつだって誰にでも平等だ。逆にいえばそこにだけしか落ち着きを感じられなくて妙に寂しい。まあ、ただの客だからね。

だからつまらなかった、なんてことは全く無いけれど、誰かや何かのためではなく自分のためにやる演劇ってどうなの?と。あれこれ思いながら演劇を一本観た後のような足取りで劇場を後にして雨音を聞くに至る。


知らないといえば、何度となく挿入されるMOROHAの楽曲。アフロさんが口を開くたびしばらく(この声のCM聞いたことあるけど何だったっけ…iPhone?違う、Xperia…はコピーがある。となると…?あ!GALAXY!!!やったよ思い出せたよー!)と結構後半の方まで思い出すことに気をとられて良い感じの言葉を使ってたような気がするけどよく思い出せない、なんてノイズみたいになってしまう事態が起こるから知らないってことは悔しい以前に不便にもなりうるなと痛感している次第です。あ、余談です。
森崎

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