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デトロイトのayakoのレビュー・感想・評価

デトロイト(2017年製作の映画)
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この映画はデトロイト(の郊外)に住んでた私にとって長い間観なきゃいけないと思ってた課題でちょっと特別な想いがあるからつらつらと今思うことを書いてみることにする。残酷さにキャッチアップできる自信がなくてずっと先延ばしにしてたけど流石に今こそ観なくてはと思って鑑賞。

《映画について》
映画の中の警察の不条理さを見てるとネットで今溢れかえってる映像の一つかと錯覚する恐ろしさ。どうやら1967年から時は進んでないみたい。
終始緊張感漂う空気感で覚悟はしてたけど観るのはかなり息が詰まる。ずーーっと40分くらい尋問のシーンが続くから自分もその場にいるような臨場感。ストーリーと登場人物がうまく追えなくて、つい数日前集会で力強いスピーチをしてたジョンの役に関してはどうしてここにいるんだっけ?どうして巻き込まれた?のかちょっとわからなくなって置いてかれた。
鑑賞後に見たいくつかのサイト(日・英)で暴動の前に平和的な公民権運動が起こってた実際の史実の描写がない→黒人がただ反発して暴動を起こしたみたいに描かれてて危険な映画っていうことが書かれてた。監督陣が白人って言うのもあって真に黒人を尊重してないっていうのも書かれていて、そういう意図があったわけではないだろうけどこのテーマを扱う難しさを感じる。

《デトロイトの街で感じたこと》
小学生の自分でもこの街にはただならぬ「気配」があって、ダウンタウンは本当に本当に立ち入ってはいけないレベルの危険さ、怖さがあったのはすごく感じてた。2000年代半ば~後半の当時、既にゴーストタウン化してた街中を歩く人達はまずほとんど黒人、それ以前にほぼ人がいない。車からはまず怖くて出れない。廃墟だらけの街並み、ゴーストタウンって本当に実在するんだなって思ったし、それと対照的に私が住んでいた郊外の町は白人が多くて、アメリカ国旗をはためかせた青々とした芝生のだだっ広い庭がついた家が多かった。
"You probably walk through neighborhoods with black families, and you automatically think it's a bad neighborhood." 何日か前に白人の子が以前自分の持っていたレイシズムの概念について語ってた言葉。
この言葉を聞いたときにすごくハッとした。当時デトロイトの街を見て思ったこと、親から気を付けなさいって言われたことそのままな気がした。
「私はレイシストじゃない」って言うことは簡単だし、actively racistな人って特に今の若い世代にはあまりいない気がする。だけど知らないうちに、そんなつもりでなくても、たぶん意識的に相当気を付けなければpassively racistになってしまうんだと思う。

映画の終わりで「彼は今もデトロイトに住み続けて教会で演奏してる」っていう後書きがあったけど、大勢の黒人の人たちは暴動が続いて破壊されたデトロイトから、貧困の生活から脱することもできなかったそう。フォードやクライスラーやGMで成り立っていた街がトヨタやホンダや日産に取って代わられた時、お金と権利のある白人には郊外移住を推進したそう。
そうやって出来上がったのが私の住んでいたような郊外の町。なんだかそう思うとすごく自分にとってすごく身近な問題に感じる。私が行っていたのはいかにも「人種のるつぼ」なアメリカのイメージにぴったりな学校だったけど、今思えばそんな郊外に移り住める「権利のある」人達に囲まれてたんだなと思うし、私は如何にアメリカの片面しか見ていなかったか、見えていなかったかに気付かされる。

「Black Lives Matter」って声を上げて、黒い四角を投稿するだけではやっぱりただの自己満だと思うしわかった気になってしまうのって一番怖い。そのようにならないために、自分の無知を、過ちを認めて学ばなきゃなと思う。とりあえず今言えることは、「差別はいけない」って自信を持って言えるようになるために課題が山積みだということ。
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