あでゆ

シェイプ・オブ・ウォーターのあでゆのレビュー・感想・評価

4.7
1962年、米ソ冷戦時代のアメリカで、政府の極秘研究所の清掃員として働く孤独なイライザは、同僚のゼルダと共に秘密の実験を目撃する。アマゾンで崇められていたという、人間ではない“彼”の特異な姿に心惹かれた彼女は、こっそり“彼”に会いにいくようになる。ところが“彼”は、もうすぐ実験の犠牲になることが決まっていた。

ストーリーはとても普遍的だが、それを魅せるための演出、美術、撮影、音楽が一級に素晴らしい。特に触れたいのは「赤、紅」と「手」の比喩だ。

全体の色彩感として青(ティール)が包む本作。なんとなくだけどストーリーやハンドパワーを持つ怪物という点が『グリーン・マイル』なんかと符合して、そのへんのリスペクトもあるのかなと思うんだけど、店だろうが研究室だろうが食べ物だろうが全部青。その中で象徴的に使用されるのが赤色だ。
最初は血の色、そして映画館、更には半魚人とのSEX後に着る主人公の衣装。SEX後の赤色なんてのは処女の血という事を表しているんだろうけど、流石にちょっと笑ってしまった。生命感が宿る部分には赤が宿る、この辺の色彩感が優秀だと思った。基本的に美術も全て美しいし。

劇中、半魚人との関わりで気づかないうちにイライザとストリックランドは怪物に転化する。それを象徴するのが「手」で、作品の中で「手」は力の象徴になっている。半魚人はハンドパワーが使える。
女性の方は話が進むに連れて手話が過激になっていく(行き着いた先がFサイン)。最終的にはエラを手に入れて完全に怪物になる。ちなみに声が聞こえないのは人魚姫と同じだったり。
一方で、ストリックランドは最初は力としての手を持っていて、例えば手を洗わないだとか、嫁とのSEX中に嫁の口をふさぐだとか。だけど段々と力を喪っていき、最後には指を喪ってしまう。銃の引き金を引くのも手だけど、結局銃は効かないし。
この辺の比喩が非常にうまいなと思っていて、結局どちらも怪物になっている。差別者だったストリックランドは一転して被差別者になってしまうんだけど、誰しもがそうなり得るということがわかる。差別者と被差別者の間に本質的差はない。今回は神に愛されたのがたまたまイライザだったと言うだけなんだ。
二匹の猫の片方が食われるシーンが有る。そこで飼い主は生き残った方に確か「運が良かったな」というんだが、アレはまさに物語の本質だ。

水中感感じる長回しの多いふわふわとしたカメラワークもホント素敵だし、音楽も最高。ミュージカルシーンも泣きました。
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