カラン

ロダン カミーユと永遠のアトリエのカランのレビュー・感想・評価

4.0
ロダンは1840年に国の依頼で美術館のモニュメント制作に取り組むことになる。ロダンが40歳のことで、上野にもある『地獄の門』を構想するも、行き詰まる。その苦悩の時期にカミーユ・クローデルを弟子に迎える。彼女は19歳で、若く、芸術の才気に溢れていた。


☆ドワイヨンらしいか?

映画は2人が出逢い、既に愛人関係にあるが、『地獄の門』の制作は終わっていないという時期から始まる。ロダンには内縁の妻がいたし、認知していない子供もいた。もうこれだけでジャック・ドワイヨンの映画のテーマを想起する人が多いのではないか。私はそうだった。人物ではなく、人物の関係性である。例えば、『ラピラート』(1984)ではレズの女と旦那がレズの恋人=妻を奪い合う。『ポネット』(1996)は死んだお母さんと幼女のあり得ない関係性の映画だ。ロダンとカミーユ・クローデルの話にジャック・ドワイヨン的人間関係を予想しないのは無理である。

本作はロダン没後100年の記念事業として制作された。ドワイヨンのドワイヨンらしさを追求するものではない。


☆モデル

ロダンのデッサンを見たことがある。人間業ではないような、ダイナミックに運動する人体が描かれている。静止したモデルがデフォルメされて、エネルギーを発散し、運動する形状になっている。モデルの身体を2Dに還元するパワーが溢れている。ロダンはそれを彫刻として3Dに変換する。本作はデッサンのシーンはあまりない。代わりにモデルをひたすら見つめる。ロダンがどうモデルを眺めたのかを映し続ける。

正座の状態で、180度以上、上半身を反らせた、座位と仰向け中間の裸婦。あるいは、バルザック像は、バルザックではない小太り男に裸になってもらいモデルにしていたが、制作が行き詰まると妊婦をモデルにする。最終的には現にあるような着衣となる。


☆アトリエ

映画はアトリエのロダンを映し続けるのだが、制作に打ち込むロダンの周辺の騒音が満ち満ちている。アトリエには多数の弟子がおり、彼らが19世紀にそうしていたであろう活動が、画面に映らない場所でたているノイズなのだろうと思われる。素晴らしい音の演出である。


☆撮影

ロダンの史実を外すことができない本作は、ドワイヨンらしさは制限されたであろうが、ロダンが眼差したモデルを映画的に復活させている。これがロダンが眼差したであろうモデルなんだろうと。暗いアトリエにモデルの身体が浮かび上がり、周辺は姿は見えない弟子たちのたてるノイズに溢れる。素晴らしいのだが、何かぐっとこない。

本作はデジタル撮影のようには見えない。しかしアナログの瑞々しさもない。REDのデジタルカメラはデジタル臭は消せているが、アウラが香りたつことはない。綺麗だが美しくはない。35mmを選択すべきであったのではないか。


レンタルDVD。55円宅配GEO、20分の14。
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