このレビューはネタバレを含みます
1998年の作品を2022年に観ました。
私は1998年、映画を自由に観れないかもしれない子どもではなく、自由に映画を観れる年齢でした。
しかし、なんとなく観なかった作品でした。
この映画、書いておきたいこととしては、かなりCMっぽい作りの映画でした。
メグ•ライアンの髪型はどのシーンでもほぼ崩れることがなく、さらにメグ•ライアンを「正面から見て右奥から光を流し込むように」ライトが当たっていました。
ライトを流し込むように当たっていたのは、メグ•ライアンの金髪を大体のシーンで美しくみせるためだと思いました。
使われていた音楽が、現在の映画での音楽より多用されていました。たくさん使われていました。
しかもボリュームも大きかったです。
これはこの映画に対して批判的なことを言っているわけではなく、ボリュームが大きく感じたことも、多用されていたことも、金髪にライトが流し込まれていたことも、CMのセオリーを映画に持ち込んだものだと考えました。
カットのつなぎ方もCMっぽかったです。
あと現在の映画、つまり2022年の映画って、出演者のアタマを画角ギリギリ、もしくは画角外にすることにより、視聴者の目線を人物の目や口元にいかせ、役者の心の動きを想像しやすくするという表現が多いのですが、
この「ユーガットメール」は、役者のアタマをほとんど切ることがなく撮影されていました。
これは俳優さんの心の動きよりも、役者さん自体の見栄えをよく見せたいという意図だと思います。この見栄えをよく見せたいという意図が仮に正しければ、その点もCMっぽいです。
当時からCMと映画とアニメの手法は交錯していたんだな、と考えさせられました。
印象的なシーンは、エンディングである花畑でメグ•ライアンとトム•ハンクスがキスをするシーン。
キスをする前にメグ•ライアンの表情が役者として演じているというよりは、素に近い表情だったと思います。
メグ•ライアンもこのシーンを心から楽しんで仕事していた、ということを想像させられました。
「ユーガットメール」は、恋愛映画の中でリアリティがなく、CMっぽい作り込まれた印象が強かったんです。ただ私は、リアリティがあるものがすべて素晴らしい、とは思いません。
そして、現在の映画作りってリアリティを過剰に求めすぎているような気すらします。
それが良いか悪いのかよく分かりませんが。
そんな中、リアリティのない映画をみてハッとさせられた、というか「作り込まれる」ということについて考えさせられました。
このタイミングで観てよかったです。
かなり分析し甲斐のある映画でした。