平均律の美しさと鬱陶しさって紙一重
すごく分かりやすいのがオストルンド監督のいいところだよね、大好き
寛容がテーマ、いかに寛容になれるか、理性的であるには限界がある。10年代的リベラルの価値観を肯定も否定もせず現実を見せようとする。最後の表現の自由のとこにも繋がる。「これで降りたら表現の自由の限界ってことになるけどいいの?」
もし降りなかったら、メディアは守ってくれるのか、ソーシャルの方に加担しないのか、もうそこに自由はない
無理なものは無理なんだから綺麗事は言うな、だけどそれはただの開き直りじゃダメで傷つけたことを正当化できない、新聞開いて「クソだ」じゃ終われない、謝んなきゃ
謝りも出来ない不条理、そこに何もオチはない