『闘わないか』
元 学民思潮 代表
黄之鋒(ジョシュア・ウォン)
TEENAGER vs SUPERPOWER
UMBRELLAS vs TEAR GAS
日本のニュースで一時期、周庭(アグネス・チョウ)がよく取り上げられていたが、彼の存在はあまり深く知らなかった。
ちなみに周氏は2019年6月に香港政府の「逃亡犯条例」改定案に抗議し、デモを扇動したとして、2020年12月に禁錮10カ月の実刑判決を受けた。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏は禁錮13カ月半を言い渡された。黄氏は刑期が伸び続け現在も収監中である。羅冠聰(ネイサン・ロー)氏は香港からイギリスに亡命した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
共産党に立ち向かい民衆化運動を導く。国民教育の撤回から香港での普通選挙の要求へ。
最初は正直疑問に思っていた。何故彼がリーダーなのか。何故こんなにも影響を与えているのか。目立ちたいだけなのか。そこに意志は見えるのか。
しかし見ていくうちに彼のその行動力、粘り強さ、そして何より覚悟と責任感に感銘を受け、納得せざるを得なかった。
特に感心できるのは活動のその後である。荒らすだけ荒らすのではなく、現実を見据え、ある意味功績として利用しながらも立法議会という本当の舞台に踏み込んでいく、その終わらない発展的な姿勢に尊敬できた。
1997.香港返還、一国二制度の成立。
資本主義の継続、中国は香港に対し報道と集会の自由と代表者の選出権を保障した。
2012.国民教育の導入を発表
愛国心の欠如を懸念した中国政府。新しい教育課程は"国が最優先"という愛国心の育成に焦点を当てた。国とは"共産党"を意味する。
思想と言論の自由のため立ち上がる。そして事実上の国民教育義務化の廃止、各学校に裁量を委ねるという形で政治的変革を勝ち取った。
個人的にはここまでは全面的に支持しながら観ていた。やはり"10代の活動"という多方面への利点が活きていたし、何よりそこに意義を感じることができた。彼らの成長にも繋がっていたしそれこそ映画のような展開に感動した。そもそもこれは間違っていない。国民教育の強制はおかしい。
この成功はとんでもなく大きな一歩。これからの民主化においての前例となったと思う。
ここから普通選挙の要求になるが、これがまた難しく、それに対しての活動もグレーである。自分も色々懐疑的な見方をしながら観ていた。まずこれも中国政府がおかしい。その開き直り方にも嫌悪感が湧く。
だがしかし対抗の仕方にも考える余地が見られた。それは本人達が1番分かっていると思うが、彼らに何か言いたい訳でなく、これを観た自分達が考えるべきことは何だろうという事である。
香港市民が行政長官を選べない仕組み。
チェーン店の業績45%減。
ハンガー・ストライキ。
人々を動かすのは難しい。
お祭りとデモは違う。
2015.5人の市民が失踪。
共産党指導者への批判書を出版した後だった。
活動家は中国政府の関与を懸念した。
香港は好きだ。ま正直中国も嫌いな訳ではないが近年は少し悪目立ちしているように思う。この問題は平行線に見えるが近日の情勢が引き金となって大きく動くことは間違いない。意識して情報を探るべきである。
内容だけでなく、ドキュメンタリーの構成として見応えがあった。シーンの繋ぎ、選択のみでの"煽り"が上手く、飽きる瞬間がなかった。
Netflixはドキュメンタリーが面白い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
"未来は私達のもの"
「どんなことがあっても
次の世代に残してはならない
使命を全うしよう」
「"成功とは何か"を社会に問う代わりに
"自分の価値観はどうなのか"と問いたい
"社会にとって何が大切か"も」
「僕らは中国人ではない
香港人なのだ」
「2期目の当選を狙うなら
中国政府の言いなりになるしかない」
「一晩では変わらない」
「祈ることで変化は起きない
行動こそが変化をもたらすのだ」
「その純粋さは民衆の一体感を生んだだけでなく、新世代に恥入る気持ちを抱かせました。子供をこのような場で闘わせているという恥です」
「投票はできるが候補者は選べない。中国政府が選んだ候補者から指導者を選べとの決定」
「これが香港か?」
「主催者には民衆の安全を守る責任があります。準備は万全と言えたのでしょうか?」
「物質は皆で共有され、食料は無料でお金は必要なかったのです。香港の美しさを感じました。その光景は言葉では言い表わせないものでした」
"雨傘革命"
「占拠そのものが政治的声明」
「傘がこの活動の象徴となりました。簡単に手に入る傘が中環で政治的な意味を持ったのです」
「主催者としてこの巨大なデモの責任を負う準備ができていませんでした。香港史に参考となる例がなかったからです。そして疲れ果てていたからです。しかしジョシュアは違った。彼は休むことなく活動を続けました」
「彼を"デジタル"と表現することがあります。若くして指導者になった代償でもあります。彼は少年時代を捨てたのです」
「棒に振った青春時代に乾杯」
お別れパーティー良かった。
彼らもちゃんと子供。
「彼は一つの現象なのだ」