このレビューはネタバレを含みます
オチに「????そっち?」という印象だったが、
むしろこっちが健全かもしれない。
不二子F不二夫の「未来ドロボウ」のような、
生死に直面し自由を手に入れた人間が超ポジティブに覚醒する事は、むしろ不自然だしメッセージとしては現実離れしていると判断して、ああいうラストの方向転換になったのではないだろうか。
「明日を願う」
「今日は残りの人生の最初の日」
という言葉が伝えたかった事。
でもそれは、吹っ切れてすべての喜怒哀楽に没頭しや感謝を振りまけ、ということでもないのだなと思った。
むしろ現実は地味なもの、なのではないだろうか。
ラストの方向転換があってから、明確なメッセージはなかった。
ただ物語の根幹である「今日は残りの人生の最初の日」が再度強調されただけで、主人公は恋人とキスしたこと、ルームメイトの邪魔が入ったことだけ。
つまり「今日は~最初の日」であることだけをはっきりと伝えた上で、現実は基本的に地味なもので、そこからどうふるまうかは人次第、というメッセージなのだろう。地味に生きるもよし、喜怒哀楽を振りまくもよし。ただし、今日は最初の日、という事実は変わらないんだ。それを受けて、君はこれからどう生きるか。そう問われているのではないかと感じた。
個人的に「未来ドロボウ」の吹っ切れた喜怒哀楽が大好きだったけど、たしかにあの作品でも最後は主人公の人格はもとに戻った。今日は最初の日、若さとはすばらしい、という微妙なメッセージの違いこそあれ、地味だが今この日を、君はこれからどう生きるか、という問いかけでは共通していると感じた。