レインウォッチャー

LOUのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

LOU(2017年製作の映画)
5.0
あかんて。こんなん。あかんて。

自分はよく失くしものをする子供だった。
文房具やらプリントやら、わたくしの近くにいた「もの」たちはみなフットワークが軽いらしく、示し合わしたように居なくなった。ひっくり返されたランドセルやお道具箱、机の引き出しが散乱し、それでもなお目的のものだけが見つからなくてただ座り込んでいる自分のすがたが、今でもありありと目に浮かんでくる。世の中にはこんなにも物が溢れて転がっているのに、なぜいまこの瞬間自分が求めているそのものだけが見つからないのかが不思議でならなかった。

何度も絶望を味わった記憶がある。わたくしくらいになると、もう机に手を入れた瞬間に「ない気配」がわかるものだ。しかし大人はそんな霊感など理解できるはずもなく、「よく探しなさい!」と言う。仕方なく、一通りやりましたよと見せるために泣きながらひっくり返すのだ。
何度も味わったくせに、何度だって失くした。それを、「注意が足りない」とか「物を大切にしない子だ」とか叱責・嘲笑していた大人や級友に、今であればはっきり言ってやりたい。それは違うと。そういう磁場に生まれついているんだと。タイムマシンに乗れるなら、あのときの自分を助けにいってそいつらの顔面をできるだけ尖った靴で蹴ってやりたいと心から思う。

しかしふとしたときに、何の関係もないところや、間違いなく一度確認したはずのところに、失くしものがそっと置かれていることがある。
そんなときわたしは、神様とかではなくその「もの」に何より感謝したものだ。こんな鼻水まみれの自分を見限らず戻ってきたその寛大さ、後ろにそっと佇んでいた小粋さを称えた。きっと見つからなかったことの方が多いのだと思うけれど、10の失くしものは1の再会で報われて、いまとなってはちゃんとタクシーや電車の席を離れる際に二回は振り返って確認するくせくらいはもつ大人になるまで生き延びることができた。

この短編に出てくるLOUは、そのとき傍にいてくれた「あいつら」に違いない。たった六分か七分のほぼ明確なセリフもないアニメーション短編、それだけでわたしはiPhoneの画面を通してタイムスリップし、あのときの自分を隣でなぐさめることができた。

蛇足になるけれど、かつてTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉がソロ名義で歌った曲にこんな素敵な歌詞があったのを思い出した。
「捨ててしまったもの 戻ってこないけれど
 なくしてしまったものなら急に 帰ってくることあるんだぜ」

サンキューピクサー。