カラン

ミスター・ノーバディのカランのレビュー・感想・評価

ミスター・ノーバディ(2009年製作の映画)
5.0
2回目に観て、『レクイエムフォードリーム』と混同していたことに気づいた。不思議とタイトルが記憶から消えていた。

話しが掴みにくいと感じるだろうが、断片的に語られる人生のエピソードはとても魅力的で、観ている苦しさはないと思う。

ダブルバインドという概念がある。右にも左にも行けない、板挾みの状態のことで、精神病の原因になるという人もいる。この映画は、甘く哀しい、リアルでシュールな夢の話だが、この夢物語のスタートは、父と母の間で引き裂かれる小さな子供の抱えたトラウマ的な原光景である、らしい。母を捕まえることが可能だったはずなのに、捕まえることはできず、しかしそれは可能だったはずなのだから、もう一度チャンスがあればと妄想を再生産する。

この母にまつわる可能性の妄想が、女たちとのドラマを生み出し、可能性が成就すると、目が覚めて、女は消えている。そして自分は誰なのかと言う問いに答えることの不可能性が、再び夢を開始させる。これはSFなのではなく、私たちのエゴの物語なのだ。私たちが毎日睡眠と覚醒を交代させる時にしていることだ。

老人が死ぬ。舞台は火星。幹細胞の研究が進み、人間が死なない世界で最後に死ぬ人間。SF的な話である。エントロピーの法則に従って、チリになっていく最後の人間。そして、その死という不可逆的な時間の流れに入った瞬間に、時間が逆行するのも、またSF的なのかもしれない。

しかし、逆行した時間は火星の病室とはまた別の病室をそっと通過していく。本当に受け入れられないのは、自分とは誰なのかという問いに終わりがないことだ。病室から動けない《私》は、いつか答えが見つかると作品を書く=dreaming を再開するしかない。

この素通り、もう一つの病室の無視が、皆さんにとって映画を難しくするのだが、ラブストーリーをつぎつぎと紡ぎだす貪欲さの正体であり、作品のポジティブなエネルギー源となっているのだと思う。この子=この映画はダブルバインドを超えて、物語を紡ぎ続けるのだ。映画そのものがネバーエンディングストーリーとなっている、比類のない作品。ぜひ、鑑賞されたい。
カラン

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