あずき最中

さよならの朝に約束の花をかざろうのあずき最中のネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

ストーリーは主人公マキナとエリアルの関係性とその周辺人物を描いているにすぎないのだけど、背景の美しさも相まって広大なストーリーになっている(もっと尺が欲しかった感もあり)。

終始、主人公たちに苦難が襲いかかるので、見ていてしんどいシーンもかなりあった。
とくに、私は女性なので、
・イオルフへの襲撃時に女性だけ連れ去られる
・レイリアの強要された結婚、妊娠
・マキナが「どうして言うことを聞いてくれないの」とエリアルに当たってしまうシーン
・マキナが飲み屋で一生懸命に働いているシーンで、男にお尻を叩かれる&「良いケツしてんな!」と言われる
は、いろいろと感情移入してしまいしんどかった(このあたりは女性監督ならではという感じ)。

とくに、レイリアは開放的な子だっただけに、だれにも愛されない、愛を与えられない孤独に耐えられなくなっていく姿が見ていてとてもつらくなる。

作中で、クリムは「どうして時を進めようとした」と嘆き、忌まわしいこと、悲しいことは記憶(ヒビオル)には残さなければいい、と愛する相手であるレイリアに言う。
たしかに、数百年の年月からすれば、レイリアの辛い体験も、マキアとエイリアの過ごした時間もほんのわずかでしかない。しかし、レイリアは望まなかったはずの子(メドメル)をもう深く愛してしまい、忘れることはできないという。

この映画のテーマのひとつには「美しい世界にいた美しい人々が、外の世界に出て汚れながらも生きていく」というものがあるらしい。つらいことやかなしいことや別れ、クリムはその汚れや綻びに耐えられなかっただけで、一般的なヤンデレとかとはまた違うのではなかろうか。

寿命の長さにかかわらず、生き物はいつかは死ぬし、忘れ去られていく。
だから、長命なイオルフは、その膨大な記憶をヒビオル(布)に織り込むことで残しておこうとしているのだが、自由になったレイリアはメドメルに対し、「私のことは忘れて!! ここでのことはヒビオルには残さない!!」と高らかに叫ぶ。
これが、観たときはあまりピンと来なかった(むしろえっ?となった)のだけど、言葉の裏返しとして、「ヒビオルに残すまでもなく、絶対にあなたのことは忘れない。たとえ自分が忘れ去られても、忘れない。」というレイリアの愛に満ちた場面だったのかなと今は思う。
マキアも同様に、ヒビオルに残さなければ残らない思いとは格別にエリアルを愛していたんだろうな、と。

エリアルは良い意味で「普通の男の子」という感じ。マキアとの関係や彼女に対する思いに悩み続けたけれども、愛を教えてくれた存在としてマキアを受け入れ、ディタとその子に愛を引き継いでいく。
エリアル自身もマキアへの感情が何だったかというのは、答えは出せていないと思う。ただ、大切に思っているけれど、守られるだけじゃ嫌だと傷つけてしまったり、それでも守りたいと思ったり、葛藤している姿に共感する人は多いはず。
だからこそ、終盤の彼の言葉が胸にささる。

それから、ディタの謝罪はいつか来るだろうとは思っていたが、自分が母になりとんでもないことを言ってしまったと懺悔するシーンは、印象深かった。
彼女がいたことで、マキアもまた命が生まれて、別れて......というつながりを知ったといえる。
ここで、「愛して、よかった。」がこの後も続いていくんだろうなという希望が持てたからこそ「悲しくないお別れ」を受け入れることにつながっていく。

最後に登場するたんぽぽの花が「愛の神託」、「真心の愛」を意味する一方で「別れ」を意味しているのはなんとも切ない。
花言葉を知らなくても、たんぽぽは出会いと別れの多い季節に咲くし、枯れる直前に種をまき、命を託していくというのが人の営みに通じているのかも、と思わされる。

個人的には、展開が予想できてしまったこともあり、号泣には至らなかったけれど、愛について考えてみたい10代くらいの子にはオススメできるかも。
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