ワックMC斬られて候

さよならの朝に約束の花をかざろうのワックMC斬られて候のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

【このアニメにヒロインはいない】

 あの花、ここさけの監督である岡田麿里が紡ぐ新作アニメ。僕から見た彼女は、恋愛を成就させたがらない作家だと思う。ここさけではその点が露骨に出ていて僕はあまり好きではなかったんだけど(これは新海誠の作品群にも言える。一種のフェチズム的な恋愛非成就)、今作ではその「成就しない恋」が絶妙に物語とマッチしている。

 主人公であるマキアは数百年の寿命を持つイオルフという種族の少女。軍の侵略によって村を追われた彼女は、戦争孤児である赤子と出会い、彼をエリアルと名付け育てることを決意する。
 彼女が母として成長していくのと同時に、軍によってさらわれたマキアの同郷の友、レイリアは人間の王との間に子を孕む。軍の襲撃を受ける前からレイリアを愛していたクリムはマキアたちとともにレイリアを救おうとするも、その事実(妊娠)によって「母」となってしまったレイリアに救いの手を拒まれてしまう。
 
 この物語はマキアとレイリア、それぞれがまったく別の形で「母」になっていく物語である。マキアは養子を、レイリアは望まぬ男との子を。
 しかしレイリアを愛するクリムだけは、その事実を受け入れられない。その最たる理由はレイリアへの恋心だろうが、それだけではない。彼女たちの種族は人間と異なり、長い年月を生きる。それゆえに、人間と暮らすということは必然的に彼女たちが看取る側に立つことになる。だからイオルフは「別れの民」と呼ばれるのだった。

 僕がこの作品を素晴らしいと思うのはまず、巧妙なミスリードだ。マキアとその養子エリアルとの関係性は、最後まで親子のままだ。けれどマキアの容姿がその種族的特性ゆえに映画の最後まで同じのに対し、エリアルはどんどん大人びていく。例えばエリアルが酔っ払った場面で、彼はマキアに「昔みたいにキスしてよ」と言ったりする。エリアルが思春期の間、彼はマキアに対して微妙な距離感で接し続けるのだ。さらに彼が妻を持ったときも、その妻から「本当に私でよかったの?」とすら言われる。まるで、エリアルが本当に好きなのはマキアであると言わんばかりの描写だ。しかし、これは純粋な「母と子の距離感」である。エリアルとマキアの関係性は、最初から最後まで親子のままである。だからこそ、最後の「お母さん!」という叫びが胸を打つのだ。それまで宙ぶらりんだった、あるいはミスリードされてきた関係性に明確な結論が打ち出される。それが、この物語において「ヒロインがいない」理由の一つだ。

 また、クリムとレイリアの関係も巧妙だ。クリムはレイリアが「母」であることを最後まで認められず、最後には彼女とともに死のうとする。「母」であろうとするレイリアを認められないクリムは、どこか「ヒロインを求めてしまう我々」への暗喩を感じさせる…(それでいうと年を取らないイオルフの民はアニメキャラだよなぁ、とか思っちゃったり。そこらへんはちょっとキツすぎるので「思う」レベルに止めておくけど、なんか岡田麿里的にはそういうのありそうだなぁなんて)

 ともあれ、レイリアも「母」だ。マキアとエリアルの関係性も常に「親子」で、この物語に「ヒロインはいない」。

 だから僕はこの作品の評価が別れるとしたらそこなんだろうな、と思う。けっこう女性性的な描き方を徹底していて、僕は新鮮味を感じて非常に面白かったけれど、アニメとしてアニメ的な展開を求めると「ずれる」かなとも思ったりする。

 キャラクターの役割が明確で、かつかわいらしいデザインに、美しい舞台背景、声優も素晴らしく、ストーリーも単純に起伏が激しく見ていて飽きることはない。

 個人的にここ最近見たアニメ映画の中では、トップクラスに良作だったと思う。ぶっちゃけ、こんなに批評的に語ったけど本心言わせてもらうとマキアちゃんまじ尊い…クッソかわいいし、普通に萌えた。僕はクリムかもしれない。