Few

エクスプロラーズのFewのネタバレレビュー・内容・結末

エクスプロラーズ(1985年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

(すんごい熱量なので、すんごい長い)

夢のなかで電子回路基板を飛び回るとき、
私はすでにこの映画に堕ちた。

自分の体ではできない諦めていることを抱きしめてくれる。
エクスプローラーズは、
私にとって一生忘れられない宇宙の秘密だ。
それも、誰しも恋焦がれた景色のなかで繰り広げられていたんだよ。

たしかに、地球は怖いところだ。
いつもどこかで戦争が起こっていて、国のトップがイかれた奴らばかりだし、人間はウイルスにすごく弱い。
けれど、聴こえてきただけで踊ってしまう音楽、地球の怖さと美しさを教えてくれる映画、友達をつくるための言語、
人を救うための発明(使い方はよく間違える)、”怖い””危険”で終わらせるにはもったいないほどの宇宙が、地球にも、私のそばにもあるんだ!

もちろんベンのように「これは映画だ」「現実じゃない」と顔を背けることもできる。
でも、この映画を撮らせた背景はまちがいなく地球にあって、
それはある人にとっては現実なんだよ。

物語の転がり方も好きなんだ。
3人組がいつの間にか結成され、実験の失敗から出たアイデアで、宇宙船を作ることに。
飛んではみたものの、失敗と空を飛んだ感覚を置き去りにできず、試行錯誤して研究する。
警察や親に見つからないように慎重に…飛ぼうとするとなんと宇宙へ!
ベンたちを呼んでいたエイリアンのところへ。
その宇宙船で、宇宙の秘密を夢みながら、私たち人間が背けていた地球を”核”を目にする。
少年たちの成長期や、宇宙探検にとどまらないテーマが複雑に入り組んでいる。(雑多すぎという人もいるかも)
けれど、探究心を優先してみるとか、夢の感覚をおぼえているとか、失敗を失敗で終わらせないとか、些細で見逃してしまう現象を全員が両手を広げて受けとっているのだ。
私は、それだけでもこの映画を見る価値が十分あると考えているんだ。
エイリアンと交流するまでを丁寧に描くことで、少年たちは宇宙以外の事柄にも目を向けはじめた。(解釈の幅がかなり広い良作)
目的だけが、全てではないのだという言葉を地でいくストーリーともとれる。
道草に、目的までのキーがある方がオールモストなのだ!

CGもいいんだこれが。
チープだし、貼り付けたようなCGではある。でも1985年だと思えば、泣けてくる。
1985年にも、電子回路基板を飛び回りたいとか、宇宙人と友達になりたいと、つくづく思って、
こんな映画にした人がいることにまず興奮を覚える。
私もだよ!って手を握りたくなる。
CG電子回路基板と、ドライブインを掛け合わせてるのもナイスだ。
電子回路基板を飛び回る目線は、サンダー・ロード号からの景色だったのか〜と腰を抜かす。
宇宙船でドライブイン…文字だけでのど詰まるくらい憧れるよそんなの!
ダレンの頭にエイリアンが侵入する場面は、この先何十年経っても色褪せないくらいかっこいい。効果音やシーンの尺など全てパーフェクトでしょ!


蜘蛛みたいなロボットが登場するところが、この映画のベストシーンだ。
全身が金属でできていて、歩くたびに高い音、低い音など様々な足音がなる。(この時点で面白い)
動くときに、体内にモーターか何かがあるから、ヴーーーって低い音もなってる。
これを『ベンたちが追い詰められる場面』として引いて観たら、この蜘蛛ロボットの体からなってる音がBGMになってるんだ〜!
すごいよね!?寄って聴けば、生き物の奏でる不規則なメロディ!引いて聴けば、主人公が窮地に立たされた不穏なメロディ!
「おい!まじかーーー!」って叫んでしまった!興奮が止まらないでしょ、こんな二重構造!

あと、エイリアンたちが地球にすむ人間のモノマネをする場面もいいよね。
映画だと、『映画化映画じゃないか』『現実化現実じゃないか』の二分法でしか考えられないんだけど、
エイリアンたちが人間を演じて初めて、目を背けてきた地球の姿を目の当たりにする。
エイリアンと話してるけど、人間モノマネで全て返事してくるのもポイント!
戦争や惨殺が起こるいくつものスクリーンを背に、80年代アメリカンバラエティーの受け答えをする。
どちらも、同時に地球で起こっていることだ。今までも、今も、多分これからも。

ヘリ隊員のおじさんもよかった。
私も、あんなキラキラした目で歳を重ねられるといいな。

ずっと子供でいられるかの話じゃないよ。
どれだけ自分と隣にいる人たちに、正直でいられるかの話だよ。

見逃しちゃいけないよ、一瞬だから。
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