榎本順一

ニッポン国 vs 泉南石綿村の榎本順一のレビュー・感想・評価

ニッポン国 vs 泉南石綿村(2017年製作の映画)
3.5
『知らなければよかった』ことがある。
アイドルの舞台裏、権力者の裏の顔、自分の仕事・生活が間接的に及ぼす影響、好きなあの人の凄惨な過去。
今回の映画もその内の一つに入ると思われる。
一人で直視するには耐え難い問題。
一度は社会から見捨てられた社会的弱者の人々の苦悩は、クラスの異なる私には想像もつかないものだ。
例えばそれは、ブルボン王朝末期、ルイ16世の妻、マリーアントワネットが、人民が貧困に苦しみパンを食べることもできないと言ったことに対して、『パンがなければお菓子をたべればいい』と言ったように。
原発労働者にせよ、非正規雇用社員にせよ、外国人労働者にせよ、沖縄アメリカ軍基地にせよ、そして、今回のアスベスト被害にせよ、いわば私たちが気付かずに不条理を押し付られている人々の実態を目の当たりにし、見るに耐えず吐き気がした。
功利主義を提唱した哲学者ジェレミー・ベンサムの例えがある。一人の子供を地下の牢屋に監禁し、彼にありとあらゆる不幸を背負わせることで、村の平穏が保たれたと言う話だ。
これは、奴隷制により造り上げられた五賢帝時代のローマの繁栄や、植民地政策により強大となった大英帝国の繁栄にもつながる考えだ。
そして、この考えは今この世界にも通じる。絶大な権力者を中心にして、富を持つものたちが社会的弱者から一方的に利益を搾取するシステム。
正直、僕は戦うことはおろか、疑念を持っても仕方のないことだとすら思っていた。
だが、希望はあった。今回原監督のトークイベントがあったのだが、彼の今回の作品は8年に渡る撮影だったということだ。8年に渡る中、国や差別と戦い続け、あらゆる逆境を乗り越えて、彼らの『人間としての権利』が認められたのだ。
僕はここに、人間の底力を見た。権力に屈せず、人間として尊重される権利を勝ち取ろうと足掻いた人たちの魂の叫びを見た。
人間の可能性は、まだまだ計り知れない
榎本順一

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