白眉ちゃん

ワンダーウーマン 1984の白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン 1984(2020年製作の映画)
3.0
『愛すべき人がいない世界に残された一人の女とワンダーウーマンの分離点』 

 
 ワンダーウーマン(WW)ことダイアナ・プリンス。彼女は第一次世界大戦下を舞台とした前作『ワンダーウーマン』(’17)で最愛のパートナー・スティーブを失っている。1984年を舞台とした今作でも依然として彼女はスティーブを想い続けており、魔法の石に願掛けする際も彼の蘇りを切に願うのである。スティーブが蘇り(厳密には彼の面影を他者に重ね)文字通り止まった時間が再び動き出す。その代償として次第にWWの力が失われていく(英国人作家W.W.ジェイコブズの短編小説『猿の手』に擬える)。ダイアナはWWとして世界を救う使命と最愛の人を天秤にかけ苦悩する。「あなた以外愛せない。唯一の喜び」と零し、ラストではこの世界が如何に素晴らしいかを説く彼女からは喪失の日々の苦痛と愛するものがない世界で何の為に生きればいいのか、その内面の惨澹たる情景が読み取れる。終盤、世界を救う為にダイアナはその願いを棄却し、「スティーブは死んだ」という”真実”を受け入れることでヒーローとしてのあり方の自明の理を得る。恋人の死から脱却し、公衆のヒーローへと変貌するストーリーラインが展開される。

 石油会社ブラック・ゴールドの経営者マックス・ロードがテレビメディアを介して、「夢は叶う」と人々の欲望を加速させていく。84年の社会にアメリカの文化や産業が世界へと波及する「グレートアメリカ」な物質主義の時代の熱気が漂っていくが、彼の正体が破産寸前の真実を嘘で覆い隠す詐欺師であることが発覚する。しかし、彼は非難を虚言だと一蹴し、魔法の石の力で都合の悪い真実も塗り替えていく。次第に世間の秩序は崩壊し、人々の間で分断や排斥が起こる。エジプトの国境に突如隆起した「神の壁」からは米大統領ドナルド・トランプ氏のメキシコ国境への「壁」発言やイスラエルの分離壁など現実の事象が思い起こされる。世界の終焉を意味する「大患難」を迎え、もはやWWを持ってしても世界の崩壊を止めることはできない。だから、人々に呼び掛けることしか方法はない。「(私でなく)あなたが救うの」と。

 WWが持つ「ヘスティアの縄」には真実の姿を表す(見せる)効果もある。彼女が縄を使って救う人々は無垢な子供や危機迫る弱者であり、時に間違いを犯す罪人である。人は欲望を押さえきれず間違いを犯すものである。前作でも諸悪の根源である軍神アレスを倒しても戦争は止まらなかった。人の心は容易く悪に染まる。WWが戦っているのそういった人間の邪心であり、私達の弱さや脆さ、愚かさでもある。それは私達が目を背けている私達の真実の姿かもしれない。しかしWWはそれを糾弾することはせず(WWは基本的に傷つけない戦い方をする)、愚直なまでに愛の力で救おうとするのである。ラストで人々は欲望を放棄し、本当に大切な「愛」の存在を認識する。全世界の人々が欲望を放棄するのはややご都合的な結末かもしれない。しかし、WWのような超人のいない現実に於いて世界を救うか否かは私達次第である。映画は架空の人々の聡明な選択によってトランプ政権の樹立の日に敗北した現実の博愛精神を取り返すのである。


 私達が目を背けているもう一つの真実について考えてみたい。WWことダイアナが84年の社会の中で一人浮いている様に見えるのは、何も彼女が現代風のファッションに身を包んでいるからだけではないだろう。テラス席で彼女の前をバラを持った青年が通り過ぎる瞬間の表情の陰り。表面上良好な職場関係、洗練された楚々としたダイアナの佇まい。しかしプライベートの彼女は常に一人きりである。この物語には見ての通り恋人の死別からの立ち直りの側面がある。この女性ヒーローは痛ましい内面世界の崩壊を抱え、従来的な異性愛の悲嘆に暮れている。肉体が超人であったとしても精神も超人であるとは限らない。冒頭のアマゾン・オリンピックで幼いダイアナがその超人的な身体能力を遺憾無く発揮する一方で、競争心に駆られ狡を働くエピソードは「ダイアナの精神面が私達と変わりない凡庸である」事実を明らかにしている。前作で生まれ故郷のセミッシラを飛び出し、人間社会の悪意を目の当たりにしたダイアナ。同時にこの世界の素晴らしい愛を発見した彼女だがそれも直ちに失われた。愛すべき人がいない世界に残された傷心の女性がこの世界を再び愛せるのか、この世界にその価値があるのか、という大きな命題に頭を悩ませるのである。

 スティーブの亡霊を払拭したダイアナは空高く跳躍する。悲しみを抱えながら世界を救いに向かう。ここはまさしく一人の女傑が公衆の英雄へと変貌していく瞬間であり、同時にこの世界が救うに値する価値を持っていると認める瞬間でもある。しかしその刹那、彼女は一度だけ地上に背を向け、天を仰ぐのである。地上の人々には見せられない内面の弱さを押し殺し、ヒーローとしての天命を悟るような一瞬の苦悶。その表情に思わず心打たれる。その後のスーパーマンの如き飛行はヒーローの決意表明の様に見える。凡庸な精神を奮い立たせ、気丈に振る舞って見せるこの不器用な超人が愛おしい。昨今の強い女性映画となるとシスターフッド(女性同士の連帯)に話は終着しがちだが一つに肩入れせず、同じ痛みを知り、その弱さに寄り添えるWWがどうしても嫌いにはなれない。
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