南

ワンダーウーマン 1984の南のレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン 1984(2020年製作の映画)
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(※総合的に満足だが、自分が千鳥だったら「ちょっと待てぃ!!」ボタンを押したであろうポイントも多かったので末尾に書く)


ハリウッドは伝統的に男女間の格差が大きい業界だ。

・同じ仕事をしているに関わらず女性俳優のギャラが少ない

・男性と同じように女性が意見を主張すれば叩かれる

・女性監督が少ない

・性的なハラスメントの横行

などなど、様々が問題がはびこっている。

その逆境の中でパティ・ジェンキンス監督とガル・ガドットの女性タッグにより作られた『ワンダーウーマン』では、力強く凛とした女性ヒーローが男たちを文字通り "踏み台" にして大活躍する。

痛快さとカタルシスに満ちた素晴らしい作品だった。

同時期に公開された『ドリーム』や『アトミック・ブロンド』と並び、フェミニズムの側面から脚光を浴びたことは記憶に新しい。

(この2作もそれぞれ「ワンダーウーマン」たちが活躍する、最高に気持ちの良い映画だった!)

そして、興行的にも社会的なメッセージの啓蒙という意味でも成功を収めた前作に続いて製作されたのが『ワンダーウーマン1984』だ。

物語の始まりは、ワンダーウーマンことダイアナの少女時代にさかのぼる。

アマゾネスの運動会に子供ながら出場したダイアナは、大人たち顔負けの身体能力を発揮して走る!走る!走る!

果てしなく続く空、透き通る海、青々と広がる山々。

美しい大自然の中で繰り広げられるSASUKEばりの障害物競争。

「これからどんな物語が始まるのだろう?」とワクワクさせる、楽しく躍動感に溢れた冒頭シーンだ。すごく良い。

しかし油断したダイアナは落馬し、他の選手たちに遅れを取ってしまう。

「やれやれどうしよう…」

辺りを見回したダイアナは、そこに「近道」があるのを発見する。

「しめしめ」

とばかりショートカットして一等賞を取ろうとしたその瞬間、叔母さんの妨害に遭ってダイアナは失格となってしまった。

ぷんぷん怒るダイアナに、叔母さんはこう語りかける。

「ダイアナ、お前は近道を走ったね。ズルはいけない」

「偉大な存在になるには、"真実"を見つめ、コツコツ地道にたゆまぬ努力をしないといけないよ」

「お前にはまだ偉大になる”準備”が足りないんだ」

憮然とした表情を浮かべるダイアナ。

そして66年後…

…正直ここまでで『ワンダーウーマン1984』の思想とメッセージは全て語り尽くされている。

今作のダイジェスト版をテーマ面に特化して作るとしたら、冒頭の10分間をまるまる見せるだけで良いくらいだ。

この後はひたすら

「ダイアナの叔母さんの教えを守らないとヒドいことになるぞ」

というお説教が140分間続く(!)

「真実(=自分の現状)から目を逸らし、精神的に成熟しないまま、安易な方法で力を得た者は、エゴと欲望を暴走させて大災厄を引き起こす」

という、叔母さんの命題の裏返しだ。

そこで使われるのが今作のキーアイテムとなる「どんな願いも叶えてくれる」宝石である。ドラえもんだ。

そしてこの宝石に願いをかけた人々の悲劇が語られる。

1つは主人公ダイアナの。
2つ目はダイアナの同僚バーバラの。
3つ目は投資会社の社長マックスの。

1つずつ見ていこう。

【①ダイアナの願い】

ダイアナは前作で最愛の恋人スティーブを失ったが、66年が過ぎた今も彼のことを忘れられない。

愛する人の死を受け入れ乗り越え、世の中の救済に励むのが彼女の使命だが、彼女にはまだそれができない。

そして「スティーブはもういない」という”真実”を直視できない心の弱さが災いし、宝石に「もう一度スティーブに逢いたい」と願いをかけてしまった。

勇気とスーパーパワーで人助けを続けるワンダーウーマンも、愛については未熟なままなのだ。

劇中で何度か言及される「猿の手」の逸話、

スティーブン・キング『ペット・セメタリー』の父親、

『ジョジョの奇妙な冒険』で敵の甘言に乗り最愛の妹を蘇らせたポルナレフ、

死んだ母親を蘇らせようとして肉体を奪われた『鋼の錬金術師』の主人公兄弟、

好きな男の子の怪我を治すために悪魔に魂を売った『まどマギ』の美樹さやか

などなど「愛する人にまた会いたい、または救いたい」という普遍的な願いを実現させる物語は枚挙にいとまがない。

しかし全ての物語に共通するのは、「現実を直視しないとロクなことにはならない」ということ。

『ゴースト/NYの幻』のような美しいロマンスは稀と言って良い。

…ダイアナは蘇ったスティーブと束の間のランデヴーを楽しみ、再び力を合わせて闘う。

しかし「願いの力」が世界に禍いをもたらしていることを直視したスティーブ自身の言葉を受け入れ、ダイアナは断腸の思いで願いを取り消した。

「彼氏と別れたくない」

という個人的な欲望を振り切り、ほんの短いキスのあと泣きながら戦場に戻っていくダイアナを追う長めのカットは、今作の中でも特に心に響いた。

ヒーローが人間的に成長し、喪失を受け入れ前に進む重要な描写だ。


【②バーバラの願い】

ダイアナの同僚バーバラはいわゆる「非モテ」の女性で、みんなから無視され、かろんじられ、惨めな思いを抱えて生きている。

ダイアナの叔母さんが言うところの「偉大な存在になる準備」が整った人物であれば、なりたい理想の自分になるため、地道な努力で成長を重ねることだろう。

しかし、バーバラもまた「真実=現状の自分」を直視せず、宝石に願いをかけて「近道」してしまう弱い人間だ。

「ダイアナはいいなあ。強くて、綺麗で、みんなからも慕われて。ああ、私もダイアナになりたい」

自分が欲しくて持っていないものを他人が持っている。

その「結果」だけを見て、「結果を得るに至った過程」を見ようとしないのが心の弱い人間の常だ。

バーバラは日々instagramやtwitterなどSNSで他人の「良い部分」「良い結果」だけを見て劣等感を募らせる、現代人の典型にも見えてくる。

宝石が願いを叶えた事で、未熟な精神のまま強大な力を手に入れてしまったバーバラ。

彼女は自分を虐げた者を暴力でぶちのめすばかりか、「この力を失いたくない」というエゴのおもむくままに、罪のない多くの人々を傷つけた。

ルサンチマンを鬱積させ続けたいじめられっ子が銃という「近道」を選び、無差別乱射事件を起こす光景とも重なる展開に、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』を思い出した。

(悪になったバーバラの目元の化粧がパンダみたいに黒くなっててワルい雰囲気が出てるのだが、こういう演出は『危険な情事』等でも用いられている)

実社会の他の事例で言えば、宝くじに当選「してしまった」人たちが、お金の適切な使い方が分からず破産する話もしばしば耳にする。

魅「力」
経済「力」
武「力」
権「力」

今作で人々が渇望するものは全て「力」であり、力を手にするにはそれを御するだけの高い精神性が必要になる。

DCではないが、スパイダーマンのテーマ「大いなる力には大いなる責任がともなう」とも共通する普遍的なテーマだ。

(ワンダーウーマンが”ヘスティアの縄”で空中をブンブン飛び回るシーンなんてスパイダーマンっぽいし)

そして高い精神性を身に着けるにはたゆまぬ努力、つまりダイアナのおばさんの言う「準備」が欠かせない。

「準備」をせずに力を手に入れたバーバラを観ていて、エディ・カンターの

"It takes 20 years to become an overnight success."

という言葉を思い出した。

【③マックスの願い】

投資会社の社長であるマックスもまた、地に足つけた努力をせず成功しようと、宝石に願いをかけてしまう。

内容は「願いを叶える宝石になりたい」というもの。

ドラゴンボールに「俺をシェンロンにしてくれ」と言うような大それた願いだ。

その結果、マックス自身も欲望を叶えたばかりか、世界中の人々が「宝石」と化した彼に欲望を叶えてくれと殺到する。

そしてその願いのほとんどが「自分が利益を得たい」というもの。

(マックスの息子は「お父さんを偉大な存在にしてほしい」と、”他者を利する”願いをかけた唯一の存在だった)

その結果があのカタストロフである。

『ワンダーウーマン1984』は「願いを叶える石」という小道具を使うことで、

「人々の欲望が野放図に実現され地獄と化した世界」

を表現した思考実験の所産なのだ。

劇中に登場するレーガン大統領の場合はどうだろう。

彼は英国のサッチャーや日本の中曽根康弘と同様、新自由主義経済を推し進めた人物だ。

過度な自由競争を市場に持ち込むことで、貧富の格差を拡大させた。

経済的な「豊かさ」を得た者たちは「カネこそが価値基準のすべて」と錯覚し、貧しき人々や虐げられた人々への同情や思いやりを失っていく。

これもまたいつの時代どの国でも普遍的な問題であり、

『皆殺しの天使』
『ウィークエンド』
『アメリカンサイコ』
『ハイライズ』
『コズモポリス』

などの作品で何度も描かれてきた。

(バーバラも序盤では、自分が虐げられた存在でありながら浮浪者の男性に食べ物を施すなど"利他の人"だったが、分相応でない力を手に入れてしまったことで他者を虐げる存在に変わってしまった)

カネを持つ者によるカネを持つ者の為のアメリカに向かって邁進したレーガンだが、今作では「核爆弾を世界のどの国よりも沢山持ちたい。最強の力を持つ強いアメリカになるのだ」という願いを叶える。

それにより劇中でソ連との軋轢が一気に高まり、核ミサイルを用いた戦争の勃発を招いてしまった。

(今作の略称である『WW1984』のWWは、”Wonder Woman”だけでなく”World War”も意味する)

宝石による「欲望の野放図な実現」はさらに、"異物"への排他性、差別、弾圧のエスカレートという事態も招く。

マックス自身が「嘘つきの移民め!」と罵られたり、市井の民が願った「アイルランド人は国に帰れ!」という欲望は権力による暴力という形で現実となった。

マックスはわざわざ言うまでもなくトランプ元大統領の戯画だ。

作中でエジプトに現れた「人々を分断する巨大な壁」も、トランプが選挙時に

「メキシコとの国境に壁を建設して、邪悪な奴らとアメリカを分断する!」

と息巻いていたそれだろう。

重要なのは、宝石はあくまで人々の願いを叶えるだけであり、願いが叶ったことで災厄を引き起こしたのは宝石ではなく弱い人間自身ということだ。

戦争、経済格差、人種差別、宗教的な対立。

世界で起き続けている様々な問題の根っこである「エゴと欲望の暴走」に真っ向から向き合い、なおかつそれがもたらす地獄絵図を人々に伝わりやすいエンターテイメントに昇華しきった点で、『ワンダーウーマン1984』を高く評価したい。

強引でアラが目立つ展開が多いのは残念だが、作り手の熱量で補われていると思う。

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以下、残念に感じたポイント。

[脚本]
■バーバラが「最高の生物になり捕食者の頂点に立ちたい」と言い出す展開は強引にすぎる。

彼女は主に「ひとから認められてチヤホヤされたい」というコンプレックスを抱えていたはずだが、それがなぜ「ケンカが強くなりたい」にすり替わるのか。

その後でダイアナとバーバラを戦わせる口実なのかも知れないが、それにしたって動機付けが不十分で違和感がありすぎる。

■マックスが改心する理由も無理やりにすぎないか。

「世界を我がものにすることよりも愛する息子のほうが大切」

という良心が復活すること自体は良いとして、それにはもっと強い動機が必要だろう。

あれだけの大惨事を起こしておいて、今さらそんな簡単に心を入れ替えるものだろうか。

[小道具]
■ホワイトハウスでの戦闘シーンにおいて、バーバラがなぎ倒した柱が「バインバイン!」とはねる様子がうつる。美術の作り込みに関してワキが甘く、映画への没入感が阻害されてしまった。

[編集]
■見せたい映像や言いたい事が沢山あるのは伝わるが、さすがに150分は長すぎる。

最初に書いたように作品全体の大意は冒頭10分で語り切っているのだから、あとはクドクド説明しすぎなくて良いのだ。

とりわけエジプトに行って帰るまでの30分は全部カットでも問題ない。

「部屋でのファッションショー」などラブコメディ描写、スティーブの実質的な異世界転生カルチャーギャップ描写も冗漫。もっとカットできる。

…など、 枝葉に目を向ければ不満点はある。

とはいえ全体的には好きな映画だ!
南