Jeffrey

スクリームのJeffreyのレビュー・感想・評価

スクリーム(1996年製作の映画)
4.5
「スクリーム」

〜最初に一言、既に飽きられ始めてきたスプラッター映画を90年代に復活させたウェス・クレイヴン監督の傑作で、ホラーの醍醐味を存分に披露しながら、楽屋オチ的な思考も交え、しかもミステリーとしてきっちり帰結する最高のフィルムである。エンターテイメントは、おしなべて恐怖と笑いの要素を持っていることを如実に気づかさせてくれた恐怖映画である〜

本作は数々のホラー映画を手がけてきたウェス・クレイヴンが1996年に監督した学園ホラー映画の代名詞の1つであり、ブラック・コメディの要素を含むスラッシャー映画の怪作である。毎年この時期(暑い夏の時期)になると「ラストサマー」と本作を無性に見たくなるのである。ガキの頃にVHSで見て以来たまに見たくなるのだ。今回BDにて久々に鑑賞したけどやっぱり面白い。脚本はこの作品で有名になったケヴィン・ウィリアムソン(後のLast Summerも脚本している)で、デヴィッド・アークエットやネーヴ・キャンベル、コートニー・コックス、マシュー・リラード、ローズ・マッゴーワン、スキート・ウールリッチ、ドリュー・バリモアと90年代から2000年代に大活躍した若手を含む役者が共演したりしていて本当に懐かしく思う。エンディング曲のSohoのWhisper to a Scream (Birds Fly)よく聴いてたなぁ。

本作は1996年12月20日に全米で公開されて興行成績第4位となる好調なスタートを切ったのはホラーファンには精通の話だと思う。しかもそれ以降、興行成績が落ちないまま大ヒットを続けていくのだ。並み居るクリスマス公開の大作がベスト10圏外へと去っていく中、9週連続で興行成績ベストテンを維持、その後も4月末に第9位に獲得して興行関係者を共感させた話は有名だろう。興収1億ドルを超える作品が年間で数十本が通常の全米で、「スクリーム」は公開当時の97年5月上旬には9500万ドルを超える興収を上げ、配給会社のミラマックスとしては「Pulp Fiction」に次ぐ歴代第2の高稼ぎ働作品となっている。また、フランスのジェラルメ国際ファンタスティック映画祭では、コンペティションに出品されてグランプリと観客賞受賞している。観客がドリュー・バリモアが殺人者に翻弄されるファースト・シーンから巧妙なストーリーテリングにいきなり乗せられてしまう。

そして、笑いが恐怖を引き立たせている中盤を経て、解読不能な意外なクライマックスまでノンストップ、途中下車不可能な演出が非常に良い。最後の最後まで全く先が読めないジェットコースター・ショッカー・ミステリーとしてはかなり出来がいいと思う。本作の息の長いロングランヒットは、この面白さが口コミで爆発的に伝わったとされているが、それは脚本家のウィリアムスンのおかげであるのと監督の演出の相乗効果から生まれているのではないだろうか。脚本家のデビューとなるこの脚本は、最後までミラマックスとオリバー・ストーンが映画化権利を取り合ったと言う。少年時代から見続けてきた映画への愛をバックに、ホラー映画とそのパターンを徹底的に再構築、予断を許さず結末が読めない展開を作ることに成功している。

その脚本を数々のホラー映画を世に送り出したホラーの鉄人とされているウェス・クレイヴンが従来のスタイルを打ち破り、今までのスーパーナチュラルなホラーと違った、見ている観客にも起こりうる身近で現実的な恐怖として取り上げているのが最大のポイントだろう。加えて言うなら、ブレイク寸前の若手人気スターたちの共演も大きな魅力である。ところで、ウェス・クレイヴン監督は基本的に脚本もほとんど書いているのだが、この作品ではあえて若手の脚本家を選んでいると言うのは、シナリオを読んで興奮するほど気に入ったのかもしれない。彼の作品にある特有の無意識にじわじわと効いてくるような奇妙なリアリティや恐怖がこの映画にもあった。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。



さて、物語はカリフォルニア州の田舎町ウッズボロー。ある夜、家でビデオを見ようとしていた高校生ケイシーに、不審な電話がかかってくる。ただのいたずら電話と軽くあしらっていると、声の主は次第に異常な本性を現す。"クイズを出す。答えられなかったら殺す。冗談じゃない。庭の電気をつけてみろ。"そこには恋人のスティーブが椅子に縛りつけられていた。"こんなふうに殺されたくないだろう?。"次の瞬間、彼女の目の前でスティーブは惨殺された。パニックに陥ったケイシーは必死に逃げ出そうとするが、室内に姿を現した脅迫者は彼女にナイフを深々と突き刺した。まもなく帰宅したケイシーの両親が発見したのは、内臓をえぐられ木にぶら下げられた彼女の、まだ生温かい死体だった…。

翌朝、ケイシーの通っていた地元の高校には警察や報道陣が詰めかけ、大変な騒ぎになっていた。彼女のクラスメートだったシドニー・プレスコットは親友テイタムからこの悲惨な事件について知らされた。警察は、1年前のあの事件以来の凶悪事件だと…。テイタムはそこで口をつぐんだ。1年前の事件で殺されたのはシドニーの母だったのだ。未だ傷が言えないシドニーは、恋人のビリーや友人達と一緒にいても暗い気持ちになってしまう。おまけに、昨年の事件の報道で一躍名を売った芸能レポーターのゲイルがしつこくつきまとう。忌まわしい記憶を呼び起こされ、シドニーは苛立ちを覚えるのだった。父の出張中、一人きりのシドニーに不審な電話がかかってくる。友人の悪ふざけかと受け流す彼女に、電話の声は"電話を切る、母親のように死ぬぞ!"と怒鳴った。

その時、いきなりムンクの叫びを模したハロウィンのマスクをかぶった犯人が家に侵入、ナイフを振り回してきた。出口を塞がれ、追い詰められるシドニー。間一髪ビリーが窓から現れ、犯人は入れ違いに姿を消した。しかし、ビリーが落とした携帯電話と行き過ぎた登場に彼女は疑惑を抱く。駆けつけた警察はビリーを容疑者として連行した。だがその夜、テイタムの家に身を寄せたシドニーに、全てを見透かしたような犯人からの電話がかかってくる。犯人はビリーではなく、他にいるのか?彼女は再び、言い知れぬ恐怖に捕われた。事件以来、異常な興奮に包まれている学園。犯人は大胆にもそのトイレに忍び込み、再びシドニーに襲いかかる。彼女は犯人を振り払い、やっとのことで逃げ出した。

神出鬼没の犯人に対し、警察は街に外出禁止令を敷き、休校が決定された。だが、逆にこの異常事態を楽しむ生徒たちは、休校記念パーティーを開催する。テイタムに誘われたシドニーは、パーティー会場で釈放されたビリーに再開。互いのわだかまりもとけ、シドニーはビリーの信頼を取り戻す。一方事件がまるで他人事であるかのように、ビールを飲みホラービデオで盛り上がる仲間たち。レポーターのゲイルもシドニーを追いかけてやってきた。そして犯人も、既にパーティー会場に侵入していた。果たして殺人者は何者なのか?その目的は何なのだろうか?…とがっつり説明するとこんな感じで、10代の時に初めてVHSで見て、それ以来気に入っており、数年に1度は見たくなるホラー学園映画である。何がそんなにいいのと言われてもはっきりとは言えないが、やはり人それぞれの時代への思い出があるのかもしれない。




うーむ…この作品まだ見てない人には申し訳ないけど、うまく解説するために犯人の役者の名前とかを言ってしまうので(ネタバレ嫌な人は…)以上知りたくない人はこの先は見ないで欲しい。しかしながら、90年代のホラー映画のためになるうんちくを長文で書いたので見て欲しいと言う気持ちもあるが、そこはお任せする。やっぱりこの映画冒頭のドリュー・バリモアの恐怖におののく表情がお宝映像である。というのも2000年代に入って「チャーリーズ・エンジェルズ」に抜擢され、世界的に有名になった彼女がホラー映画の冒頭で殺されてしまう役を演じているというのがまたレアなのである。ブロンドボブショートがまた可愛らしいのとぶかぶかのセーターを着て、片手に電話を持ってひたすら怯えているのがたまらない。

ケイシーのボーイフレンドが腸を掻っ切られくたばるのだが、その腸をえぐり出されるシーンが映されてないのと、どういった道具でやられたのか分からないのが個人的には納得がいかない。プールサイドに椅子に座らされ縛られている彼が、彼女のケイシーが電気を消してつけた瞬間に殺されているのが数秒の間で、どうやってやったのかが謎だ。にしても、冒頭の彼女が殺される最後に、両親が帰宅して、助けを求めようとする場面はなんだかかわいそうで泣けてくる(笑)。結構ひでぇ序盤よな…スクリーム。このわずか13分の序盤のエピソードは、かなり観客を引き込む演出になっていて素晴らしい。しっかし、マシュー・リラードの殺人鬼役かなり良い。あの一々長いベロを口から出して笑う表情がサイコパスだ。今じゃ全然映画で見なくなってしまったが、当時若手俳優の中では結構な存在感をあらわにしていたスキート・ウールリッチがハンサム。彼が初主演を獲得したポール・シュレイダー監督の「Touch タッチ」は未だにVHSのままで残念である。

このホラー映画は、結局のところ大人が介入する術もなく、同じ学生同士が殺し合いをしていると言う内容で、怠けている若者たちに対しての制作側の怒りが込められているような感じもする。実際にお前らみたいな若者が大人が手を下すまでもない、勝手にお前ら同士で殺しやってろ的な雰囲気が結構漂っている。これは、劇中の悪ふざけして、校長だか教頭の先生に注意された男子生徒2人にその先生が強烈な一言を言う場面でもそう思える。私がこの作品を好きな理由の1つに、やはりホラー映画ファンに対するオタク趣味が入り込んでいる余地があるからだろう。よくできたホラー映画では、主人公の内面にある不安や葛藤とホラーイメージが深く結びついている場合が少なくない。グレイヴン監督は常から発想を得るために新聞をよく見て作っていると言っていたが、彼は宗教的に厳格な家庭で育ち、映画を見ることすら許されなかったのだから、彼の興味深い所はそういった個人的な体験をベースに、映画を通して広い視野で現実を見つめると同時に、想像力を駆使して新しいイメージを切り開いていこうとする力なのかもしれない。

しかも、監督の凄いところは、現実をただホラー化するのではなく、それぞれの時代に見合ったものに作り替え、常に新しいイメージを切り開くところにある。実際に、エルム街の悪夢、デッドリーフレンド、ショッカー、壁の中に誰かがいるなどを見るとほとんどそういったアメリカのテレビ文化の暴力性だったり、歪んだ家庭やコミュニティーのロボットの価値観を通したり、ブラックムービーの台頭しっかり4作品に反映していることがわかる。監督は、このように歪んだ家庭や家族の絆と言うテーマを軸にしながらも、テクノロジーやメディア、あるいは人種問題など時代の空気を敏感に感じ取り、単純にホラー映画と言うジャンルでは被ることのできない作品を作り続けていくのではないだろうか。映画評論家の大場正明氏もいっていた。まずヒロインのクラスメイトが殺害されてから、次第にヒロインがクローズアップされていく演出が私好みだし、ドラマに女性リポーターが絡んでくる展開や、タブロイド的な出来事と言えるこの小さな町で起こった事件に、タブロイド記事の作り手であるリポーターがはまってしまい、人間性をむき出しにする点、連続殺人事件にメディアが取り込まれていく作品は「スクリーム」の犯人の1人であったマシュー・リラードが出演しているジョン・ウォーターズ監督の「シリアル・ママ」(シリアル・ママのレビューページでガッツリと説明している)にも通じる現代的なブラックユーモアを持っている。


「スクリーム」は、様々な要素が盛り込まれたドラマをMTV的なスピード感で一気に見せてしまい、その結果、具体的な物語の展開とは別のところで、メディアの氾濫の中で現実の感覚を混沌とする社会、その縮図とも言えるようなイメージが浮かび上がってくる。これが、監督ならではの奇妙なリアリティと言うことなのかもしれない。そもそも90年代から普及されてきたビデオだったり携帯電話、レンタルショップそれから隠しカメラなどそういったグッズを活かしながら…というかそれらを背景としたオタクの世界でホラー映画を盛り上げるパーティーをワンシーンに取り入れているのがとても素敵である。現在的と言う意味で映画さらに面白くしていると思うのだ。誰もがホラーともブラックユーモアとも言い難いものを感じるだろう。そもそもグレイヴンは、悪夢もしくは夢の世界を、我々人間にとって現実の世界と同等の存在性を持つ、実在するもう一つの異世界(別世界)として重きを置いているような気がする。

なんだろう、ホラー映画っていうのは現実世界に通じる教訓とも言えるし、恐怖に対する克服も教えてくれるので、そういったテキストはかなり優れていると思う。ホラー映画と言うだけで子供に見せないとか、悪影響与えると言う人もいるかもしれないが、少なくてもホラー映画と言うのは想像力をかきたてるまでの仕事なのだ。ちなみにこれは「スクリーム3」に出てくるセリフである。それにしても彼の作品の殺人鬼はみんな個性的である。例えば「サランドラ」は、核実験跡地の荒野に住むカニバル獣人一家であったし、ある「エルム街の悪夢」は、ご存知の通り悪夢の国に誘う恐怖の道化師が殺人鬼だし、「ショッカー」は、電気エネルギーと黒魔術によって、転生、テレビ世界を駆け巡るサイコ殺人鬼だったし、「壁の中に誰かがる」では、自らの屋敷に残忍な罠を張り巡らし、幼児虐待に命を燃やすいイカれた夫婦だったし、「ゾンビ伝説」では、ブードゥー教の魔術とハイチの恐怖政治がリアルに同次元で存在し、曖昧でストレンジの世界だった。

そういった数ある作品の中で、「スクリーム」は、ホラーの異空間に放り出されたヒロインを軸に、殺人鬼が恋人だったと言う衝撃も、犯人に処女を捧げたしまったと言う残酷さを持っており、次第に自分自身を殺人鬼の心理状態に持っていってしまうところがやはりこの監督の凄いところだなと思う。そもそもこの映画画期的だなと思ったのがボイスチェンジャーの使い方だ。それを使って殺人鬼の声色を真似、殺人鬼のコスチュームを着て、学生たちを混乱の渦へと叩き込むのだから。しかも殺人鬼にしても、その動機理由がふざけており笑える。なんだろう、正気の中で狂気が入っているかのような感覚…。映画文筆家の鷲巣義明氏がクライマックスで被害者から加害者へと転じるところが彼のナイトメアワールド最大のホラーパークであると言っていたことを思い出す。要するにMr.グレイヴン創造の悪夢と言う事だろう。


やはりこの映画の印象的な殺され方は、シドニーの女友達のブロンドガールがパーティーに参加して、ガレージの動物たち(猫や犬)が行き来する小さな小窓が付いているシャッターに体を半分突っ込んでそのままシャッターを上に上げられ体が挟まれ殺されるシーンは凄い名場面だろう。てか、1番インパクトがある殺され方かもしれないこの作品の中で。そしてクライマックスの、三つ巴(犯人2人とヒロイン)の場面は凄い画面に食いつくほど興味深く面白い。そこへ招かれざる客(レポーター)が拳銃を手にしてやってくる。そしてサプライズに縛り付けられたヒロインの父親まで登場すると言うとんでもない対面が始まる。そして一瞬の隙を見てヒロインが逃げて、2人の犯人が狼狽するのだが、その1人が受話器でヒロイン(シドニー)と会話して、ほんとに警察呼んだの?呼ばれたらママとパパに怒られちゃうと泣くのはマジで絶句する。リポーターのゲイル役のコートニー・コックスってクールビューティーでかっこいい。


せっかくなのでそれぞれの登場人物(キャラクター)のことも言及したいと思う。まず主人公のシドニー・プレスコットを演じたネーヴ・キャンベルは当時23歳だったが、実生活で結婚生活2年目の奥様でもある。ネクスト・ジェネレーションだと言う自覚を持って頑張ったと思われる本作は、非常にクールで落ち着きのある女性像を演じ、きっちりと力強いキャラクターに仕上げ、殺人鬼に反抗していく姿はタフガールそのもので良かった。個人的には鼻の上に多少のソバカスがあるのがチャーミング。続いて、犯人役の1人ビリー・ルーミスを演じたスキート・ウーリッチは当時27歳で、確かウィノナ・ライダー主演の何かの作品の端役で映画デビューしていたのだが、今回の映画では1番キャスティングの上でてこずったと思われる難役を見事に演じきっていた。当時ポストジョニー・デップと各雑誌がこぞって特集していたが、残念ながら消えていってしまった役者だ。本当に辛いのである。

続いて、レポーター役のゲイル・ウェザースを演じたコートニー・コックスは、大ヒットドラマ「フレンズ」のモニカ役でお茶の間の人気者になっていたが、この作品では脇役ながらに強烈なインパクトを出していた。確か彼女1996年にはピープル誌選出の世界で最も美しい50人の1人に選ばれ、その表紙を飾っていたと思う。そしてなんといってもすでにビックスターだったドリュー・バリモアが冒頭のシーンで強烈な殺され方をするところはこの映画史上最も怖い場面だったと思う。1人でサバイバルするような出だし方だし、恐怖感たっぷりの身になっている。彼女はあのシーンをやるだけで、かなり体にアザを作ったとインタビューで言っていたような気がする。ホラー映画が大好きなアメリカの若者たちの姿が生き生きと描かれており、ホラー映画の知識を試すクイズを犯人が電話ですると言う極めて新鮮な演出と脚本に惹かれて出たそうだ。

さて、この作品の脚本家のケビン・ウィリアムスンは「スクリーム」を書くにあたって、「夕暮れにベルが鳴る」「プロムナイト」「テラートレイン」といった作品にオマージュを捧げている事は一目瞭然である。このジャンルに詳しい人は「スクリーム」の中にお馴染みのシーンやシチュエーションを見つけることができるだろう。製作総指揮のボブ・ワインスタインとグレイヴンは、この脚本を絶賛し監督を承諾したことを聞いたとき、脚本家は、一言思い残す事は無いと言ったそうだ。幼い頃から恐怖映画に強く魅了されていたことがわかる。監督は初めて脚本を読んだときとても興奮したと言っていたし。ちなみに監督はロマン・ポランスキーの「反發」と「テナント 恐怖を借りた男」が好きな恐怖映画だと言っていた。

ところで、冒頭のケイシーを電話で脅かす場面は、徹底したショッカーが見えるが、これは「夕暮れにベルが鳴る」を意識し、犯人の異常性を声で演出するあたりが「プロムナイト」のイメージを感じさせる。特に約15分にも及ぶ恐怖のプロローグは、「夕暮れにベルが鳴る」のオマージュとみていいだろう。しかも映画の中身の内容も結構「スクリーム」に引用しているし。キャロル・ケイン主演の「夕暮れにベルが鳴る」は未だにVHSのみなのが非常にショックである。自分も昔購入して今も持っているが、93年制作の続編「新・夕暮れにベルが鳴る」はまだ見たことがない。とにかく怖いと言う評価は知っている。そういえばポップコーンをガスコンロで焼いている場面があったが、ホラー映画のオールナイト上映会で連続殺人が起きる「ポップコーン」と言うホラー映画も昔あったが、これもDVD化されているが廃盤で、早くBD化して欲しい。私の生まれた91年に製作された映画である。

そういえばこの作品で「エルム街の悪夢」は一作目だけが面白いと言う台詞があったが、これは監督自身が決定する以前からケビンの脚本に記載されていたと監督がインタビューで答えていた(自分で自画自賛したと言う意味では無いことを伝えたかったのだろう)。冒頭のボーイフレンドが椅子に縛られ殺される場面はもしかすると「悪魔のサバイバル」を彷仏させるように作られているのかもしれない。その作品では、椅子に縛られた女性が拷問され、殺される姿を写したビデオ映像を彼が見つめると言う場面があった。この作品は数年前にハピネットからようやくホラーマニアックシリーズとしてBD化された。気になる方はぜひ購入して鑑賞を。

彷仏とさせると言えば、「スクリーム」の白いマスクは「ハロウィン」の不条理で無機質な不気味性を、黒いローブはテラー・トレイン」の殺人鬼を彷彿させている。それに人影がサッとよぎる独特の恐怖演出は「ハロウィン」の監督ジョン・カーペンターの十八番だったと思うので、かなり彼の影響は受けていると思う。ちなみにその手法を映画に取り入れた元祖はハワード・ホークスで、西部劇の「リオ・ブラボー」で見ることができる(豆知識的に)。しかしながらそれをさらに洗練したのはカーペンターだろう。そういえばシドニーの恋人ビリーは、「エルム街の悪夢」のヒロインの恋人に扮したジョニー・デップの登場の仕方(彼女の部屋に窓から侵入)とそっくりではないか。しかもビリー扮するウーリッチが、デップに似ているのもかなり「エルム街の悪夢」を意識しているのかもしれない。特に髪型(前髪を垂れ下がらしている感じ)。確かウーリッチの好きなホラー映画は「ヘルハウス」と「パラダイム」と言っていたような気がする。

ちなみにもっと言うと、ウーリッチが演じたビリーの姓は記されていないが、彼が逮捕された時、刑事がビリー・ルーミスと言っているのがわかると思うが、これはどう考えても「ハロウィン」のマイケルの担当医ルーミスから拝借してるとしか考えようがない。ブライアンデ・パルマ監督の傑作の「ミッドナイトクロス」と言う作品があるが、電話で愛する者の断末魔の声を聞くのはその作品から影響を得ているような感じもしなくは無い。そういえば本作の警官バークを演じるジョセフ・ウィップは、「エルム街の悪夢」で保安官を演じていた人物だったような気もする。ヒロインの親友の身内が保安官として登場する設定は「ハロウィン」と同じだし、「ハロウィン」では、ローリーの親友であるアニーの父親が保安官だった…はず。傲慢な取材をするテレビレポーターが殴られるシーンがあるのだが、それは「ダイ・ハード」でもあった。

殴るのはマクレーンの妻を演じたボニー・ベデリア、殴られるのはウィリアム・アザートンで、物語の内容が日系企業の高層ビルがテロリストたちに占拠され、 事件に巻き込まれた刑事が戦いに挑むと言う作品なのだが、やはりバブル時代、アメリカの企業を買収しまくった日系企業が憎たらしかったのかもしれない(笑)。そういえばCandymanにされて、ショックもいいとこ…と英語では言っているが字幕では殺人鬼にされて…で終わっているシーンがクライマックス近くにあるのだが、「キャンディーマン」と5回唱えると現れる伝説の殺人鬼を描いたホラー映画「キャンディーマン」を指差していることは一目瞭然で、スチュアートが鏡を見つめて言うセリフはホラー映画ファンらしいが、テイタムがキャンディーをタイミングよくなめているあたりが、笑えるジョークになっているのは周知の通りだろう。「スクリーム」には監督自身も端役出演しているのだが、赤と緑のセーターを着て、校舎内で清掃する人こそ、彼なのだが、その衣装はどう見たって「エルム街の悪夢」のフレッド・クルーガー(フレディー)と同じデザインである。


ここから長い余談話をするが、先ほども言ったジェラルメ国際ファンタスティック映画祭と言うのは、スポンサーのエゴで、あまりに突然に終焉を迎えなければならなかったアヴォリアッツ(この映画祭は奇想天外なホラー映画などがよく出品されているマニア向けの映画祭)映画祭が、場所を変え新しいコンセプトで、94年に再スタートしたフェスティバルのことである。ジェラルメの街は、フランスのロレーヌ地方のヴォージュ県にあり、街の中心にヴォージュの真珠と呼ばれる湖のある美しい街で開催されている。94年の第一回映画祭の審査委員長はウォルター・ヒル監督で、香港映画の「白髪魔女伝」がグランプリを受賞している。第二回はジョン・カーペンター、第3回はルドガー・ハウワーが審査委員長を務めてグランプリは「乙女の祈り」と「デーイ・オブ・ザ・ビースト」に、それぞれあげられた(はず…)。

ゲストの豪華さと、粒よりのラインナップを見れば、場所は変わってもジェラルメにアヴォリアッツ映画祭の伝統がしっかり受け継がれていることが感じられると思う(といってもガチでホラー映画ファンしか感じられないと思うが)。確かこの映画祭では昔に押井守監督の「攻殻機動隊」や日系ドイツ人のライナー松谷監督のデビュー作「オーバー・ザ・マイ・デッド・ボディ」などが上映されて評判が良かったと思う。審査委員長だったケン・ラッセルやアンジェイ・ズラウスキキー監督は「攻殻機動隊」を大絶賛していた。確かマルコビッチとか役者系の審査員はその作品に拒否反応していたのも話題だったような気がする。長々とレビューしたか、これは大抵見ていると思われるホラー映画で、つまらないと思う人もいると思うが、このような予備知識を知った上で見るとまた面白いと思う。
Jeffrey

Jeffrey