えふい

カランコエの花のえふいのレビュー・感想・評価

カランコエの花(2016年製作の映画)
3.8
序盤の、露出補正をかけたようにまぶしく陰が少ない映像は、フィクション的「理想の青春」をその色彩で表現したかのよう。中盤以降は一転、曇天のもとに褪せた色調が画面を支配する。
保健教師のあまりに迂闊で道徳的なふるまいに翻弄され、社会問題に対する経験も知識もおぼつかない生徒たちが、まるでクローズド・サークルミステリーのごとき「犯人探し」に興じねばならない不憫さにはうなだれるしかない。
唐突に訪れた、くすんだ色の非日常。彼あるいは彼女らは、まばゆく澄みきった日常を取り戻すべく、誰も傷つかないよう生温い優しさで事をおさめようとする。それがもっとも「理解」からはほど遠く、自分たちと異なる存在をマジョリティの範疇に懐柔せんとする行為にすぎないと気づくには、あまりにも時間が足りない。物語は何者をも救わない結末へと疾駆する。
呉智英は「差別もある明るい社会」を唱えた。「他者と異なること」を隠蔽するような平等主義はむしろ軋轢をうむという。かの『聲の形』で描かれた現象がまさにそれだ。いまや世界的な潮流として性差別問題が取り沙汰されているが、われわれはどこまでその構造を正確に捉えられているのだろう。インタビュアーにマイクと「性差別」という単語を突きつけられ、深刻めいた口調で模範解答をこぼさずにいられない街のひとびとの姿は、やにわに騒動の渦中に放り込まれ右往左往するしかない学生たちと重なる。
ただひとつ僥倖と言えるのは、われわれの物語は40分という悲劇の中では完結せず、いまのところ思案する時間が存在してくれていることだ。逆に言えば、学校という庇護のもと無知であり続ければよかった年ごろはとうに過ぎた。せめて冒頭で発せられた凡庸な演説がどこかで再演され、同じような騒動が引き起こされていないことを祈るばかりである。
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