このレビューはネタバレを含みます
「お母さんは怖いとか思ったことないの?」というところでは、自分が好意を寄せられるなど自分ごととしては考えていない。
保健室の先生も、「キモイ」という発言に対してその場で注意しない。
のちに、薄っぺらい言葉でクラスに説明をする。担任も同等で責任逃れともとれる発言しかない。
理解する、とか分かってあげるという上から目線。
吹奏楽部という周りと合わせることが求められる部活。みんな黒髪のなか、そのなかでひとりだけ妙に目立つシュシュ
「自分を守る」という花言葉を知ってから、あらためてシュシュをつけている。
そして教室の空席をみながら悔しそうにそれを外す
カミングアウト以上に、好きな人への告白だった。その前に自転車の2人乗りで雰囲気がよかった。
想像がついているのに「なんかあった?」と明るいトーンでいったのは、自分を守るためのものだったのでは。
誰かからのアウティングとして「さくらはレズビアンじゃないよ」と消すシーン。
さくらにとっては、全体への追い詰められた暴力的なカミングアウトであった。それを大好きなひとから(人格ごと)否定されている。
あれだけ仲良いなら友だちの文字くらい知っているのでは??という疑問も残る。
そもそもノートを貸し借りする間柄だろうし。
犯人探しをしていた男の子の態度の変化は、さくらちゃんのことが好きだったんだろうか。
さくらは保健の先生の講義を臨んでいたんだろうか。
理解したふりをしている人がたくさんいる現状。
エンドロールの楽しそうな恋バナの雰囲気と、「苦しそうに話していた」のズレ。
人々がLGBTQのひとは、苦しんでいるという前提に置いている。
自分の周りにLGBTのひとがいるだけで、LGBTを理解した気になっいるひととしての表現。=アウティングした子、保健室の先生。