すみ

カランコエの花のすみのレビュー・感想・評価

カランコエの花(2016年製作の映画)
4.7
エンドロールでぼろぼろ泣いてしまった。
人を好きになるという気持ちの、なににも替え難い尊さ、素晴らしさ。

どう受け止めたらいいか分からないながらも、1人の人間として大切だからこそ守りたかった。ただそれだけなのに、結果いちばんひどい形で傷付けてしまう。
だけど、あの教室で、あの空間で、まだどうしたら分からない中途半端な状態で、あの言葉が出てくるのは無理もない。

そして、桜は守られたかったわけじゃない。ただ自分のアイデンティティや気持ちを知って欲しかった。隠し続けることが、きっと辛くなってしまった。だけど自分の口から伝えるのが怖いから、あんな形をとったのかな。覚悟を決めた、一種の賭けのような。

短い映画の中に、たくさんのすれ違いや、配慮や、戸惑いや、矛盾や、脆さや、言葉にできない感情なんかがギュッと詰まっていた。

一つ気になったのは、あの授業は先生が勝手にやったのだろうか。
きっと桜は、別にクラスのみんなに自分を理解してほしいわけじゃない。
特定のクラスだけに授業を行うことの表面的な対応、偽善。
先生も良かれと思ってやったのだとおもうと、これが一連の元凶になってしまったのがまた辛い。
大人になったからといって相手を傷付けない対応ができるわけではない、という皮肉にも感じた。

カランコエの花言葉、「あなたを守る」。

そもそも、「守る」とはなにか?
守るという行動自体が、根底にある差別意識からくるものではないのか?
じゃあ、果たして守るという感情は偽善的で烏滸がましいものなのか?と考えた時、月乃のように「周りの偏見」から守るのではなくて、「本人の尊厳や意思」を守るということが大切だったのかなと感じた。

LGBTに関わらず、良かれと思って言った言葉が相手のアイデンティティを傷つけてしまう危険は常にあるから、私も気をつけないと。
表面のみを掬うのではなくて、本質を受け入れる覚悟、理解しようと寄り添う心を持たないと、生半可な気持ちは、相手をひどく傷つけるだけだから。
相手を守るということは、一見相手のためにみえて、意外と身勝手な自己保身になることもあるのが難しい。

しばらく余韻に浸ってしまった。
この短さで、この重厚感。
一生忘れない映画だと思う。
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