ロッツォ國友

判決、ふたつの希望のロッツォ國友のレビュー・感想・評価

判決、ふたつの希望(2017年製作の映画)
3.2
おじさんの水掛け口論に大統領がドン引きするお話!!!


レバノンとパレスチナ、双方の歴史的社会的背景を題材にした社会派裁判映画。
あまり背景的な説明がないので、中東問題についてある程度の事前知識はあった方が飲み込みやすいが、なかったからと言ってテーマの理解ができないお話では決してない。
これは後述する。


ストーリーそのものは中東の壮絶な歴史を踏まえたものであるものの、基本的には法廷パートと日常パートに分かれており、アクションが大きな描写はもちろん、カメラがグリグリ動くような映像表現も少ない為、かなり単調な映像が続く。
ここはちょっと集中力が続かない人もいるんじゃないかな。

一方で、役者の演技は非常に素晴らしい。
誰一人知ってる人はいなかったし、彼らの言語が何なのかも分からんかった("はい"と"いいえ"も聞き分けられなかった!)が、カメラがあまり動かない為キャラクター一人一人の表情とセリフが確かな刺激として入ってくる。
そんな彼らの視線や顔つきが物語に味を加え、緊張感や感情の揺れ動きがとてもよく表現されていると感じた。

特にメインキャストの二人!良〜い味した顔ですねえ?
怪演とか顔芸とかじゃなくて、正統に「巧い」演技なんじゃないでしょうかね。
ハリウッド映画なんかには出ないような人達なので、"他作品であのキャラをやってたな…"的なノイズもなく、結果的にかなり贅沢な鑑賞だったのかも。



本作は、極めて複雑なモチーフを"些細ないさかいが大きな対立を引き起こしてしまう"というシンプルなストーリー構造に落とし込んで描いており、デリケートな問題は掻き乱さずに映画として必要な要素のみを丁寧に引用している。

よって、レバノンとパレスチナの深刻な対立問題をメインにしつつも、「異なる背景を持つ他者といかに共存するのか?」「自らを傷つける者をどこまで許せるのか?」といった人間社会における普遍的な問題が散りばめられている為、本作は中東に限らず、あらゆる社会に向けた問題提起としての機能を果たしている。


だから、観ている我々の大半は、レバノンにもパレスチナにも一生関わることはないかもしれないが、異質な他者との歩み寄りに当然伴う軋轢と摩擦には誰もが思うところがあるだろう。
信仰と尊厳と許しの問題は、我々の生きる今この瞬間にも多く存在しているはずなのだ。


本作はそこから対立問題の拡大と収束を描くことで、一つの作品として完成させながらも、しかし観た後の我々の心の中には「生きる難しさと誇らしさ」が残っている。

人間だから分かり合えないけれど、人間だから歩み寄れる。
どうしようもない人間達の業に傷つき苦しみながらも、しかし笑顔を取り戻すのもまた我々人間自身ではないか、というのが本作最大のメッセージであると解釈する。


また、対立問題が拡大するにつれて、同じ陣営であるはずの者同士も微妙にズレたり合わさったりしているが、これも皆それぞれが胸に抱く存在意義を懸けて戦った結果であり、争いそのものは醜くとも、そこにぶつかり合うのは間違いなく我々のような等身大の人間である、という事が描かれている。



ちょっと慎重に描きすぎているからか、若干展開が遅く映画的迫力に欠けるきらいはあるものの、何十年も根深く続く中東の問題をモチーフにしてゴチャゴチャさせずに一本の映画として完成させる技術はこれぞスマートであると思うし、ストーリーの真摯な積み上げにも胸を打たれる。


もっと予習してから鑑賞した方が良かったなとは思うものの、本作が言わんとしていることは特に歴史的知識がないからといって欠けることはないと思う。
公開規模はそれほど大きくないが、普遍的な社会派映画として素晴らしい完成度だと思いました。
ごっつぁんです。
ロッツォ國友

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