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とんぼの眼のてのネタバレレビュー・内容・結末

とんぼの眼(2017年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

シュ・ビンの81分の大作。「遠距離現在」展でみた。予想外にめちゃくちゃ良くて引き込まれて、全て通しで見てしまった。美術館でこの時間を払ったのはたぶんはじめて(おかげでその後の予定をだいぶ再調整しなければならなくなった。)

かなりストーリーがしっかりしていて、女(チンティン)は寺院の出身。男(クー・ファン)と牧場勤務で出会う。男は女に恋していて、クリーニング店勤務を始めた女に言い掛かりをつけてきた金持ちにキレて、乗車中のそいつらに、車をぶつけて襲いかかる。それで刑務所に入れられる。その間に、女は整形してネットアイドルになる。出所後、女は手の届かない存在になっている。男はなんとか貢いで近づこうとするが叶わない。そんな最中、大物女優をディスったかどで女は炎上、(おそらく)川に投身自殺する。手のひらを返したように女を擁護する人々、整形も努力だよね、とか。男は迷走の果て、整形前の女の顔に整形し、女の出身の寺院へ、その女自身として帰っていく…。

という経緯の全てが、実際の中国の監視カメラの映像のコラージュで成立している。なので男と女を指し示す具体的な俳優は、映像のたびに変わっていく。だから、整形の描写は違和感なく成立する。暴力シーンや、親密な男と女のシーンが、実際の誰かの映像であることにまず驚く。ドキュメンタリーでもフィクションでもない何か。これらが全て、現代を生きる人たちの集団的無意識のよう。男は女を傷つけたからという理由で暴力的な復讐に走る、その肥大した自意識は、SNSに溢れている、というかSNSで目に見えやすくなっているけど人間たるもの多かれ少なかれ誰しも持っているもの。男は何処かに消えた女をずっと探しつづける。監視映像の膨大なデータの中に、欠けたものを埋めようとするあらかじめ失敗を約束された欲望が切なく漂い続けている。その失われた対象自体に自らがなるっていうのは構造的には享楽と同一化する自殺かもしれないが(というかそうであればせめて良かったのかもしれないが)監視映像によるコラージュゆえに男も女も特定の主体として同定されないようになっていて、常に複数化され続けているから、その同一化自体がなされたかどうかも定かではない…。現代人の肖像だったと思うし、苦しくて切なかったけど、凄まじくカタルシスもあった。
て