2018年、90本目。
運命が運命を呼ぶ。
無心論者のミハエルとその家族の運命。
そして歴史の呪縛からは逃れられないと思っているすべての人間のための映画かもしれない。
戦争が生んだステップは、いつまで続くのか?
ヨナタンの自由に踊る姿が目に焼き付いて離れない。
私たちは勇気を出して踏んだ新しいステップを、自分のものにできるのか?
1つ1つのカットの美しさが凄まじい!
上からのカットが非常に多く、それによって緊迫感と人間の心模様が見て取れるようにわかる。
玄関に飾られた絵、転がる缶、心を剥き出しにした傷、歩くラクダ…どれ1つとっても深い意味が込められている。
平穏の象徴とされていたものが、一瞬で絶望となる。
試写会終了後、サミュエルマオズ監督ティーチイン!
30分の予定が1時間程に。
《ティーチインメモ》
映画構成などは最初から固めているそう。
今作は、自分の娘の遅刻癖から着想を得た。
毎朝登校バス(5番線)に乗り遅れ、タクシー代をせがまれていた。
ある朝このままではいけないと思い、今日はバスに乗れ!とタクシー代を渡さなかった。
そしてその日、5番線のバスで自爆テロが発生。
携帯が普及したばかりだったため、回線がパンクして娘と連絡が取れない。
その一時間後に娘は帰宅。
結局予定時刻のバス(テロが発生したバス)にはあとわずかのところで間に合わず、次のバスに乗っていた。
レバノン戦争を経験している監督だが、その戦争をも超える最悪の一時間を経験した。
人の短所は完璧に直す必要はない。短所を直そうとすれば、長所ごと引っぺがすことになりかねない。
無理に直すのではなく、許容することにも意味がある。
この経験を何かに活かさなければとFOXTROTの制作に至る。
監督は自分の映画を、観る人たちの体験であってほしいと願っている。
登場人物の中に観客が入っていく、感情に入り込んでいくためにビジュアルは特にこだわっている。
言葉はフィルターにすぎないと思っている。なのでモノローグは基本的に好きではないが、書くときは書く。
生の感情は言葉より雄弁に語るため、ビジュアルへのこだわりが強い。
監督の子供時代は、過酷な歴史を経験してきた親や教師に文句を言うなと言われるプレッシャーがあった(自身のレバノン戦争含め)
家に入ってすぐに飾られている絵は、ミハエルの心のあり方、精神状態を表すようなものを美術さんに発注。
ミハエルは新しいFOXTROTを踊ると決め、生を選ぶという意味で聖書を売った。
辛さを抱えてもひたすら耐えてきた、それがミハエルでもある。
心から血を流したままのため、弱い者=犬を蹴るなどしてしまう。
PTSDではないが、抑圧と否定の人生を歩んできた。
最後に息子はすべてわかっていたんだとわかり、妻に自分の弱みを話すことで一縷の望みが見えた。
日本人では黒澤明、村上春樹から影響を受けているんだとか。
次回作は既に進行しており、母と娘の物語。
1970年1月号
監督の人柄がよくわかる、ティーチインだった。
Filmarksさんによる試写会@シネアーツ
いつもありがとうございます!