とぽとぽ

ジム&アンディのとぽとぽのレビュー・感想・評価

ジム&アンディ(2017年製作の映画)
5.0
"The movie was happening behind the camera." 一人称と三人称の境界線を越えていくほどの《のめり込み》=本気。表現の高みには心血を注ぎ魂を削るほどの辛苦が必要なのかも。それには映画史上最高の演技と名高い『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンの名演技を監督として演出しながら間近で見ていた名匠ミロス・フォアマン(ex.『アマデウス』)さえ御手上げ。やり過ぎ=カウフマン的。嫌われ役を本番以外でも始終熱演、とりわけトニー・クリフトンなモードの時は厄介すぎる。そんな『マン・オン・ザ・ムーン』製作秘話ばかりかジム・キャリー自身の人生・キャリアも当時の映像を交えながら現在の彼自身の口から語られる。重なり溶け合う二人の人生とマスクを被るような作り物の自分、そしてスター街道。仮面を被っているから言える客観的な事や素直な自分。『トゥルーマン・ショー』の時はトゥルーマンだったし『エターナル・サンシャイン』の時は悲しかった。そんな彼を見たミシェル・ゴンドリー監督は撮影開始するまであと一年は回復するな、と言ったとか?彼のドライバーも朝から帰りまでずっとアンディやトニーだと証言。まるで憑依。どうせやるならとことんやるべきだ、悩むまでもない。保険会社の補償も知らない真のクリエイティビティ。人生は映画みたいなものだからちゃんと俯瞰しないと。今までの出演作と重なる虚構とリアリティーの予言。どこまで自分を偽れるのか?自己陶酔というより一種究極のアイデンティティークライシスと疑問符。何から何まで規格外にスゴすぎる魂の探求は宇宙の真理にまで至っていくよう。『マン・オン・ザ・ムーン』見直したくなった。あんがと。

"Andy, me, whoever said really hit me." 「役から抜け出せない」いなくなること "disappearing" 野望「夢は全部叶えてしまった。人が欲しがるものは全部持っていたのに不幸だった」free will? "To me, Andy was the Great Beyond." ジム・キャリーから解放されていた「国籍なんて自分の一部にしか過ぎない」抽象的な枠組み「僕はただ漂っているだけでいい」魂の旅。僕とカップ「もう言うことがないな、それにクタクタだ」「すごい話になったな」
Thank you very much.

P.S.途中「やりたい放題」の字幕が「やりたい邦題」になっていたことを報告します
とぽとぽ

とぽとぽ