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ある少年の告白のたのレビュー・感想・評価

ある少年の告白(2018年製作の映画)
3.2
カトリックの牧師の息子として生まれたジャレッド。だんだんとわかってくる自分のジェンダー感を理解しは始めていた矢先、思わぬ形で家族がそれを知ってしまう。
矯正施設に入れられもがくジャレッドだったが、彼を取り巻く人々もさまざまな考えや想いを持っていた。

“A REAL MAN” “Normal” “Moral”

一体、“普通”は存在するのだろうか。誰かによって定義され、形作られた普通というものにはまって生きているのだろうか。
完璧な人にならなければいけないのか、そもそも、“完璧”とは完璧な人が定義しているのだろうか。
改めてこんなとを考えさせられた。

ある意味、今この世界にある“普通”も同様である。だれも違和感を持たず、当たり前であるかのようにしているが
それは誰かからしたら、もしくは自分からしたら理不尽で、理解できないものかもしれない。

この映画では、“神”の存在が一つの普通として君臨している。
その神を信じているからこそ、人々は基準をつくり、ルールを守り、そして神の名のもとにその型を、もしくは普通を破る人を裁いている。その人は危機であるとされ神に愛される人になるために矯正される。

自由の元に信仰があるのか、信仰のもとに自由があるのか。宗教を交えるとこれは難しい比較になる。
人々が権利として持つさまざまな“自由”を神は知っていたとしても、それを他人が知っている必要があるのか。もしくは、無理に知ろうとする必要はあるのだろうか。

映画の施設のようになっている以上、ある問題、危機を解決しようとしている人たちは根本的にこれを捉えることはできないできない。
そもそもそれは解決したり、神であっても、他人であってもその価値を押しつけることはできないし、しても意味がないからだ、と思う。

ちなみに、この英題『Boy erased』って、直訳すると『(こすって)消された少年』になるから、その辺も邦題とニュアンス違くてとても興味深い。映画の内容からすると『告白』でもまぁ正しいかもだけど、全体的に見ればerasedの方がしっくりくる気もする。
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