あ

15時17分、パリ行きのあのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
-
観光旅行のパートの映像の平板さに、でも観光ってこういう感じだよなと思うと同時に、イーストウッド映画が西部劇から独自に受け継いできたような距離の正確さ(この正確さにおいてイーストウッドは自己像との距離を的確に保ってきた)がここにはない。距離については、しかし、この映画で重要な要素で、スペンサーはそもそも奥行き知覚の欠如によって希望するパラシュート部隊には入れなかったし、何よりも事件発生の列車内で、スペンサーがテロリストに飛びかかるときにあまりに距離が離れすぎてて、それにもかかわらず、テロリストの銃が不発であったが故に撃たれずに済むのだ。これはなにを意味するのか。
距離の喪失による彼らの行動は、これまでのイーストウッド的なヒーロー像とは真逆の何かで、それはイーストウッドがそれを手放すことによって逆説的に示される現代的な「英雄」像なのか?
あ