いずみ

15時17分、パリ行きのいずみのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.2
試写会にて。
以前から彼の監督作品が大好きな私は本作をとても心待ちにしていた。期待ばかりが募り、微塵も心配する要素がなかったが…まさにその通りの作品であった。
前作の「ハドソン川の奇跡」や「アメリカン・スナイパー」なども実録物であり、近年イーストウッドは過去の現実を彼なりに忠実に解釈して映像にしている。本作もイーストウッドの独創性溢れる映画であった。その独創性というのは実際パリ行きの列車内で起こった一瞬ともいえる事件を細分化して、後にヒーローとなる幼馴染三人の関係性と徐々に、ラストに向けて繋ぎ合わせていることである。単純に「事件」を事件のままに映し出しているのではなく、後の恐怖の瞬間をラストへと一つ一つ輸送している。これはどういうことかと言うと、あの惨劇を引き起こす前の犯人の計画が「荷物」によって暗示しており、所々変にクロースアップで映し出しているため「輸送」であると私は捉えた。列車は人を運んだり(人を移動させる)、貨物車として荷物や物資を運んだりする。それと関係性が間接的にあるように、彼ら三人の予想だにしない偶発的な人生すらラストへと輸送されているのだと。だからある種のロードムービーでもあると思うし、若干のヌーヴェル・ヴァーグ的な要素も感じたのは事実だ。(これは言い過ぎ?)
ヌーヴェル・ヴァーグ的な要素というと、はぁ?ふざけるな!とこぞって言われるかもしれないが(笑)。演技ではない演技をする時、彼ら三人は既に当事者ではなく、役者の顔にもなってその狭間の中で曖昧でどうしようもない中途半端な三人の関係性が生まれる。そしてそこに素人さという絶妙な立ち位置が存在してくるので、私たちには完全に理解を得ることができないが、何かの共感を得ることができるのである。その「何か」とは言葉では表現できないが、簡単に言うと、現代性に富んだ私たちの日常だ。
しかし、本作は一つ惜しい部分がある。それは映画的な作りが生み出す純粋な面白さというのが少し足りない気もした。あまりにもイーストウッドの独創性が強調されているため、大衆娯楽としての求める面白さはあまりない気がする。だから評価はかなり割れそうだ。とりわけ、「アメリカン・スナイパー」などは「英雄と称された男の苦悩」としてそのテーマがはっきりしている。しかし本作は英雄となったものの、英雄までの苦悩や幼少期がわりと私たちの日常と成長過程が変わらないし、そこが逆に変化球で映画的な楽しみや発見がなかったのである。そこの点が惜しい部分であるが、それを除いても十分すぎた出来の作品であった。なんといっても94分という尺も心地良かった。
余談になるが、個人としてはイーストウッド監督作品でベストは「ミスティック・リバー」であり、それに匹敵する作品であったがやはりミスティック・リバーのあの猛烈な映画の静かな叫びを聞くことはできなかった。
いずみ

いずみ