つのつの

15時17分、パリ行きのつのつののレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.3
【よくできていない人生の賛歌】
賛否分かれるのも頷ける作品。
自分は相当変わった作りだという情報を頭に入れてから見たのでそれほど面くらわなかったけれど、何も知らないで見たらかなり戸惑ったに違いない。

本作は所謂「よくできた」作品には見えにくい。
クライマックスの展開を暗示するような伏線や描写もないまま延々とボンクラ三人のヨーロッパ観光を見せられるのを冗長、退屈と思う人がいても仕方ない。
しかし自分は本作を「よくできてる」作品だと思った。
少なくとも起伏のないクライマックスまでの展開にはしっかりとした意味がある構成だと思う。

そもそも映画における「伏線」というものは、観客にとってのみ伏線として活きるものだ。
例えば「ハクソー・リッジ」は前半に、クライマックスの戦闘の舞台となる「崖」のイメージが何度も挿入されている。
それらのシーンは後の展開を暗示する「伏線」だが、それを伏線と気付くの、2時間ほどで登場人物の人生を俯瞰できる我々観客だけだ。
勿論そのシーンの中に存在する登場人物は、この瞬間が後の伏線だなんて永遠に気づかない。(探偵ものみたいな主人公が謎解きをしていく場合は別として)
映画を見ている分には我々は誰かの人生を俯瞰するある種神のような視点でいられるが、勿論実人生にとってはそう上手くはいかない。仕事や学業や趣味がその後の人生のどのタイミングで役立つかなんて予測できるはずがない。
というか「よくできた」映画のように、この小道具が後で役立つといったピンポイントな伏線なんて我々は持ち合わせていない。

この実感をこそが本作が描こうとしたものではないだろうか。
落ちこぼれだったスペンサーが始めて自分を律して根気よく軍隊の入隊テストに挑む場面があるが、あそこで彼が手に入れたものは、強靭な肉体と諦めない精神だ。
それらは小道具のように目に見えてテロ事件に再び活用されることはない。
けれどもスペンサーが培った肉体や精神はテロ事件、いや彼の今後の人生において重要な役割を果たしたに違いない。

本作は人生経験を積むこと=生きることは膨大な伏線を自分の中に蓄積していくことだと教えてくれる。
我々のように映画を見て感動したり、セルフィーで何枚もの写真を撮ったり、職業を全うしたり、名前と出身地を名乗りあったり。
それら全ての経験は、具体的に役立つことはないかもしれない。
「数学なんて今後の将来には役立たない」というぼやきは学生なら誰でもしてるはずだ。
けれども、さまざまな経験を通して自分自身を豊かにすることは、意味のないことでは絶対にない。
一つ一つは無意味で退屈で平凡な経験だとしても、それを膨大に積み重ねて形成される「あなたの人生」には価値があると、僕はイーストウッドが言ってくれているような気がする。
そしてそんな人生経験の堆積は、重要な局面での決定的な行動を取る勇気につながる。そこに神とか統計に基づくデータなんてものは関係がない。人々がどうやって人生を形成するかなんて何十億通りの可能性があるのだから、一定の傾向や法則を見出すことなんて無意味なのだ。

「地道に生きていくことは何もよりも価値がある」という人生賛歌をイーストウッドが描くことができるのは、彼の映画人生が大きく関係しているのではないだろうか。
彼は許されざる者、グラン・トリノと何度も何度も彼の映画人生を閉じるような集大成のような作品を撮ってきた。
けれども彼は未だに映画をハイペースで、しかも進化と挑戦をやめないまま作り続けてきた。
おそらく彼自身が人生を積み重ねることの力強さを信じている。
巧妙な伏線も張られず、深い感動を呼ぶクライマックスを迎えて幕の閉じることもない「よくできていない人生」を生き続けるより他はないことを、イーストウッドは長い映画人生の中で自然と悟ったのかもしれない。
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