きっと忘れない
----------------
科学と尊厳のはざま。
相変わらず、容赦なくリケ書家の東野圭吾は科学をかざして私たちを責めたてる。
だが-
そこに映画力、役者力がのったとき。
この作品はある種の高見に達してしまった。
映画なんて、そもそもがケレン。
ただの娯楽という名の文化の落とし子。
理屈なんか、暇人の後付け。
衣食住が保障された、なまぬるい感性の。
一番大切なのは、その紙芝居に隠されたモノを感じ取る琴線。
科学の進歩は、魂を失った電気羊にも「こころのひだ」を与えるか。
機械に生かされて、こころを失っても。
ときが流れ、ほとんどが機械の躰になっても。
ただ、たんにそれを感じさせるだけの映画かな。
だけど、一つだけはいえる。
ひとは、人間は、刻まれた想いを記憶のどこかに刻み込む。
それは記録媒体への書き込みとは違う想い。
デカい紙テープから小さなチップに代わる必要のない、
代えの利かない営みだから。
いつもながら堤カントクは、ある意味、ひそかに観る側の感性を測る卑怯なやり方をする。まあ、観る側は、その手法を飲み込むだけの大きさが欲しいものだ。
ひとはYESとNO、ゼロイチで創られたモノではないのだから。
STAYGOLD@ぴあ映画生活