kyon

猫は抱くもののkyonのレビュー・感想・評価

猫は抱くもの(2017年製作の映画)
3.0
映画と舞台の差ってなんだろう、って考えさせる作品。

冒頭はキャッツを思い出したなぁ。

この作品、基本的に物語の展開が舞台セット上で行われ、ときどきリアルな土地が現れ、ごくたまにアニメーションになったりする、ちょっと実験的な作品な感じがしました。

だから予想とは大分違う印象になっていて、あ、こういう展開なんだ!となりましたが、ラストにかけては何か沢尻エリカの引力があったなという感じ。


これも夢を諦めてしまった後の女性の物語で、スタートがもう一旦アイドルを辞めてスーパーの店員からスタートなんだよね。

そこからアイドル活動中でも辞めた後でも、日々サオリは自分への自己肯定が出来ずにもがいてる。それは周りの態度にも現れていて、ある程度年を経て、それでも夢を追いかける人間に対するリスクみたいなものを感じる。夢を持つことは素晴らしい、という反面いつまでそんな夢追いかけてるの?っていう差が大きすぎて、その反動にやられてしまう人間はきっとサオリだけでなく、誰もが当てはまる瞬間がある、そんな設定がリアル。


ただ、やっぱり映画をこれでやる必要性を考えてしまう…。
いわゆるほぼ演劇の場面転換、衣装の統一、人工的なセットと映画のナチュラルな演技、カット割り、それぞれの特徴が混ぜられている意味ではアリなのかもしれないのですが、入り込みずらさはあったな。

何でそうだったのか、と考えるとやっぱり映画特有の画面を見に来たつもりだったからもあるし、それとともにあまりにも人工性が前に現れていて、映画としてこれを映す必然性を探してしまう。

あとはサオリと猫のヨシオの物語とサオリの夢物語とサオリとゴッホの物語の軸が複雑に絡んでいて、ちょっとまとまりずらかった印象も。

おそらく猫という制御するには限界のある生き物をどこまで使うか、どうやってその世界を成立させるかを考えていると思う。

だから猫たちが集ってるシーンなんかは制御しきれない映り込んでしまった瞬間が少なからずあって、そこがすごく生き物を映すときの楽しみなのかな。

猫の役とサオリの物語の周囲の人たちが同じ俳優さんなのはラスト辺りに気づいて、やっぱり随所にかけて舞台の手法を映画に取り込もうとしたのかなと思った。

吉沢亮の猫感は半端なかった。
kyon

kyon