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青夏 きみに恋した30日のodyssのレビュー・感想・評価

青夏 きみに恋した30日(2018年製作の映画)
4.0
【意外に深かった】

東京の女子高生が、両親の都合で夏休みに田舎に住む祖母のところに出かけ、そこで地元の男子高校生と出会って一夏の恋に・・・

という筋書きだということはあらかじめ分かっていて、あまり期待せずに見に行ったのですが、意外や意外、かなり深い映画でした。

といっても、堅苦しいという意味ではありません。
ふだん暮らす環境が異なる男女高校生同士の恋愛映画という点では、ふつうによくできています。

問題はしかし最初からはっきりと提示されています。
東京の女子高生と田舎の男子高校生が出会って恋に陥って、しかし女子高生は夏休みが終われば東京に帰るしかない。どうするの?ということなんですね。

この映画の優れているところは、それを単に住む場所の違いに帰着させていないところです。
田舎に住む男子高校生にだって夢がある。それを実現するためには地元を捨てなくてはならない。でも捨ててしまうと、そうでなくとも過疎化が進む田舎の村はどうなってしまうのか・・・こういう重い問題がこの映画の背後にひそんでいるのです。

自分の夢を追うことは、東京の高校生にとっては当たり前で、そこには何の問題もありません。
しかし、田舎の高校生にとってはそうではない。夢を追うためには東京、或いはそれ以外の大都市に出て行かなくてはならず、それは地元を捨てることを意味するからです。

この映画が優れているのは、そういう問題をふまえた上で作られているからです。

といっても、むろん映画ですから、問題が完全に解決されるわけではない。田舎の男子高校生が最終的には夢を優先する、という筋書きは、若者を主体にした映画では当然のことではありましょう。でも、それって、田舎の問題の解決ではないんですよね。

本来なら、もう一つ、別の解決もあるはずです。つまり、逆に東京の女子高生が、田舎に定住しようと決意する、という結末です。でも、それはこの映画では可能性としてすら考えられていない。

それを私は非難したいのではありません。青春映画という枠を壊すことはできないという前提がこの映画にはあるわけで、それを考えればやむを得ない筋書きでしょう。青春映画は純文学ではないからです。

しかし、もしこの映画を純文学として作るなら、東京の女子高生が都会の生活を捨てる、という筋書きも考えられるはずです。

最近は農業にも女性がそれなりに関心を持っているようですが、しかし田舎の農家に日本人女性が嫁に行かないので、アジアの他国から女性を嫁に「輸入」しなければならない、という状況は過去にあったし、今もあるわけです。この点については大地康雄が作った『恋するトマト』という映画があります。心ある方はご覧下さい。

それは、「夢」と日常的な生活との関係を考えるということなので、青春映画にはそぐわない問題なのです。私はこの映画にそれを求めているのではありません。むしろ、不十分ながらそれに触れていることに敬意を表しているのです。

なお、キャストは主役ふたりだけでなく、脇役陣も美形がそろっていて、そこもgood! 私としてはまだ子供っぽい葵わかなさんより、ライバルの古畑星夏さんに魅力を感じてしまいました。谷間も見えるし・・・(笑)。お母さん役の霧島れいかさんも、おじさんとしてはデートに誘ってみたくなるような中年美人。
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