「難しいのひとことで」
片付けていいんですか?
これは、難しい映画なんかじゃねえよ。
難しいで止まってんのは、見出そうとしてねえからだ。
人生の貴重な2時間も使って、なにぽけーっと消費だけしてんだよ。
ふざけんな。
人が一人で産まれてきて、生まれたからには、居場所がいって、食べるもんも飲むもんも、着るもんも、なんなら死ぬのも金がいる。
そしてなによりも、助け合って支え合って、生きてく糧が必要で。
そん中でも一番身近で、最小の単位が、家族なんじゃないのか。
生き物が生きてくために必要だから、幾万年とこの単位は不滅なんじゃないのか。
そこに血のつながりは関係ないと、『そして父になる』で彼はいった。
そしてさらに強く強く、彼はこの映画にその想いを込め、現したんじゃなかろうか。
なんもかんも側から見りゃあ繋がってねえ。
歪かもしれねえ。
理解もできんだろうよ。
それでも、彼らが生きるために必要だったから、彼らは家族になっていったんだよ。
誰がなんと言おうと、どんな過去があろうと、彼らは家族そのものだったよ。
たとえ、教えられることが盗みしかなくとも。
たとえ、お腹を痛めて産んだ子でなかろうとも。
法律が、常識が、それを家族と見なさずとも、たしかに彼らは家族だった。
支え合い、助け合い生きていたんだ。
キッカケはなんであろうと、家族という形は役目を終えれば、どんどん小さくなって、最後に形はなくなる。
枝分かれして、また新たな糧となる家族を作る。
万引き家族の役目は、あの時に終わったんだ。
家族の全てがそれを受け入れ、また違う家族を作る。
でも、家族と過ごした記憶も体験もなくなりはしない。
家族との時間は、形がなくともその者の人生にたしかに刻まれるものだから。
ゆえに、心配はしない。
あの家族の全てが、そして何より、じゅりちゃんのあの眼差しは、確かにはっきり、未来をみていた。