良い映画で、メンタルがやられている…。
安藤サクラ演じる信代の言動ひとつひとつが頭から離れなくて無限ループ。
虐待されていたりんのことを、「たたくのは愛してるから、なんて嘘。本当に好きだったら、こうやるんだよ」って言いながら、目を真っ赤にして抱きしめるシーン。信代自身の傷もまるごと抱きしめているように見えた。
虐待する両親のもとに帰ることを拒否して自分の家に残ると決断をしたりんのことを「自分で選んだから、強いんじゃない?キズナよ、キズナ。」と嬉しそうに話すのも、
取り調べで、「子どもたちになんて呼ばれてたんですか?ママ?お母さん?」って聞かれて、目をこすってごまかしながら泣いて「なんでしょうね。」って声を絞り出すのも。
そして、1番頭から離れないのが、取り調べで、死体遺棄について詰められたときに放つ「私は捨ててないですよ、拾ったんです。捨てた人は他にいたんじゃないですか?」ということば。
痛いところをつかれたようで、うっ、と息がつまった。
盗んだのは、絆でした。
というコピーの意味を、ずっと考えている。
“絆”が血縁や戸籍のつながりに宿るという呪縛にがんじがらめにされて、傷つき、こじれて、声をあげられなくなっていく。
捨てられて、それでも誰かとつながり直したかったんだとおもう。寂しいから。人は1人で生きられないから。
ラストに万引き家族はバラバラになり、それぞれが取り調べを受けるのだけど、社会的に真っ当ではない彼らの絆を否定してくる検察官に対して、誰も何も言い返さない。
「子どもがいないから、うらやましくなって誘拐したの?」
「それって本当のやさしさじゃないよね。」
誰も言い返さない。言い返せない。
ちがう、と思っても、飲み込むしかない。
もしくは、正論を前にして、ちがう、と言えるほどに確信が持てない。
声をあげられない空気を、大勢でつくっている。こうあるべき、から外れる人を排除している。
それが、犯罪でしかつながれないことの背景にあると思うと、「捨てた人」って本当は誰なんだろうか。