82saku

万引き家族の82sakuのネタバレレビュー・内容・結末

万引き家族(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

母は「役割」である。
父も、祖母も、息子、そして娘だって「役割」だ。

家族は血の繋がりがなくても成立する。

「可愛い」と言って、
抱きしめてくれる人が側にいる。
その方が子供にとって良いだろう。

その「可愛い」は、
気まぐれではなく、
無償に与えられた方がいい。

女の子がおばさんの火傷の痕を撫でた時、
おじさんが風呂が新品だからと男の子を引き止めた時、
泣けて仕方なかった。

おばさんが警官と話している時、
「なんだろうね」と言いながら泣いている時、
泣けて仕方なかった。

男の子も女の子も、
おじさんとおばさんが、
「お父さん」「お母さん」じゃなくたって良かったんだと思う。
『呼称』がなくても親子の体は整っていたから。

それに、
仮に父、母でなくたって、
二人は子供に対する年長者としての務めを果たしていたと思う。
それは、
人に優しくする
生きる術を伝える
という事。

生きる術(万引き)に関して、
「自分にはそれしか教えられない」
という発言があった。
そう思ったからこそ、
自分の「父としての役割」を終え、
別の人にバトンを渡したのだと思う。

映画の最後、
女の子は迎えを待っていたのだと思う。
踏み台に登り、手摺の先を見つめていた。
出会いも、その場所だったから。


小さい者は非力である。
優しき誘拐という方法で救うには、限界がある。
行政の出番。
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