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万引き家族のnaoズfirmのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
3.8

家族🎬

ストーリーは万引きという犯罪を通して繋がっていく家族を描いた作品でした。今作は日本の縮図を見ているかのような作品でした。また第71回カンヌ映画祭で最高賞パルムドールを受賞しました。日本映画の同賞受賞は1997年の今村昌平監督作『うなぎ』以来21年ぶりの快挙です。リリーフランキー・樹木希林・安藤サクラ・松岡茉優・池松壮亮・片山萌美・山田裕貴など豪華主演者が作品を盛り上げました。

"タイトルの意味"
タイトルには二つの意味が込められていると思いました。一つ目は、全員が”万引き”を日常的に行っているというストレートな意味です。治と祥太を筆頭に、初枝はパチンコ店で他人のドル箱を大胆にネコババしたり、信代もクリーニング店に預けられた洋服のポケットなどに入っていた物を家に持ち帰ったりしていました。そして二つ目は、"万引き(誘拐)され集まった家族"だということです。治はりんを団地の外廊下から、治と信代は祥太をパチンコ店の駐車場から連れ帰りました。広い意味では、信代、治、亜紀も初枝に拾われたと言えます。

"スイミー"
作中で小学校にも通えていない祥太が国語の教科書を朗読するシーンがあります。祥太が読んでいるのは『スイミー』。兄弟を失った黒い魚のスイミーが、兄弟そっくりの赤い魚たちと協力して、兄弟たちを食べたマグロを追い払って平和を手に入れる話です。このスイミーをストーリーの中で取り入れた理由は、このスイミーたちと祥太たち「家族」の姿は似ているからだと思いました。それぞれが力のない存在である彼らが「家族」という大きな魚に扮して、社会というマグロに立ち向かおうとしていたのではないかと思いました。

"家族6人の心情"
本当に素晴らしかったのが揺れ動く心情描写です。それぞれの心の内に打算や思惑を秘めながらも一つ屋根の下に集まり、身を寄せ合うように暮らす彼らの間には、血縁関係は一切なく、格式張った親子関係もありません。大人たちは日常生活の中で気軽に万引きや不正に手を染めるなど、適度に人間として問題がありますし、お互いの存在に対して打算的な思惑を隠そうともしません。そんな中でも、この奇妙な共同生活の中で、彼ら家族ひとりひとりが本当は家族のぬくもりを切実に求めていることが伝わってきました。擬似的な家族ごっこに過ぎなかったのかもしれませんが、でも、6人でいた短い夏の間、縁側から花火を全員で味わった夜や、海水浴場へ全員で小旅行へ出かけた日、そこには確かに幸せな家族の空間が広がっているように見えました。海辺で見せた彼らのくつろいだ表情を見ていると、「貧困」への強烈な問題提起がなされている映画でありながら、「幸せであること」と「お金があること」の間には厳密な関係性がないのかもしれない、とも思わされました。彼らに訪れた一時的な多幸感。ほっこりするシーンでした。しかし、ストーリー後半では無理に無理を重ねてかろうじて維持されていた「家族」は、初江の死と共に一気に崩れ去ってしまいます。その過程で、残された5人が見せる様々な表情もまた味わい深かったです。家族だった他の4人の幸せを願い、獄中で強さと知性を見せる信江。短絡的で頭が悪く、小狡いところもあるけれど、最後まで家族の復活を望んでいた純粋な治。再びDV家族の元へと戻り、孤独な毎日を送るりん。物語が暗転してから、各キャラクターの心情を読みといていくだけでも非常に楽しめます。

"社会への訴え"
今作は社会への強い訴えを感じました。作品中では社会の底辺で生きる弱者がリアルに描かれると共に、年金不正受給問題、死因不明社会、高齢者お一人様問題、学校にも通えない子供家庭内暴力、育児放棄、ギャンブル依存症、雇い止め、労災事故、貧富の格差、現代日本社会が抱える、負の側面に思いっきり焦点を当てていました。特に注目したいのが、祥太とりんの子供二人の置かれた過酷な状況です。りんは、両親が家庭内で常に言い争い、母親が父親から絶え間ないDVを受ける中、精神的に追い詰められた母親から育児放棄された挙げ句、虐待を受けていました。そんな生死にかかわるギリギリのタイミングで、治と信代に拾われたのです。また、物語後半で明らかになる、祥太と治の出会いについての秘密もインパクトがありました。パチンコ屋の駐車場で閉め切った車の中、放置されて死にそうになっていたところを、たまたま車上荒らしをしていた治に拾われたという衝撃のエピソード。しかし、もっと問題なのは、たとえりんと祥太が拾われたとしても、それは長期的に見て何の解決にもなっていなかったという点です。もちろん、家族らしい温もりを知ったことや、治・信代たちと過ごした時間も、彼らにとって大切な思い出になったと思います。
「他に教えてやれることがなにもないんです」と警察の取調中に治が告白した通り、11歳になるまでに祥太が身につけたスキルは、治から教わった万引きの技術だけでした。戸籍がないから学校にも行けず、自宅の押入れの中で愛読しているのは小学校2年生の国語の教科書。同じく、6歳で拾われてきたりんも、読み書きさえ危うく、数字も1~10までしか数えられない有様です。信代や治がいかに善意を持って、彼らを父親、母親代わりに育てようとしていたとしても、子供たちの発育状況を鑑みると、信代と治がやっていたことは、ゆるやかな虐待でしかないわけです。極度の貧困が子供から教育の機会を奪い、子供の将来を潰していくというインパクトの大きさに衝撃を受けました。

人と人との縁は決して血縁だけではありません。家庭環境に恵まれなくても、友人や恋人、何かしらの同志と「絆」を結ぶことができます。その血縁ではない「絆」を「家族」と呼んでもいいのでしょうか?結婚や出産、養子といった形を取らなければいけないのでしょうか?今作の結末は、是枝監督から私たちに向けられた「家族」に関する問題提起だったように思いました。
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